情報誌「ネルシス」 vol.1 2000

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P-02 [SPECIAL REPORT]環境デザインの現在 藤田治彦(1)
P03-12
本文/藤田治彦
写真/シヲバラ タク
【サン・スーシー宮殿の森】

プロイセンのベルサイユと呼ばれるこの庭園は、300haの敷地を有し80kmあまりの回遊路がめぐらされています。フリードリッヒ大王が都市の喧騒を嫌いポツダムに建設した離宮であり、閉じた世界に生み出された孤独なユートピアでもあります。しかし時の経過はそうした思惑を離れ、豊かな新緑の輝く中、訪問者は森に迷い込んだ印象を受けます。整備され調整された人工の「自然」環境が育まれているのです。広大な森の中にはバロックやロココ様式の宮殿が点在し、大王のフランス文化への憧憬に満ちています。 by T.Shiobara
著者紹介
藤田治彦(ふじたはるひこ)
大阪大学大学院文学研究科助教授(環境芸術学)学術博士
主たる著書:『ナショナル・トラストの国』(淡交社)、『ウィリアム・モリス』(鹿島出版会)、『ウィリアム・モリスへの旅』(淡交社)、『現代デザイン論』(昭和堂)。
おもな訳書:『近代装飾事典』(岩崎美術社)、『グラフィック・デザイン全史』(淡交社・監訳)。
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■環境の発見
 《環境》。現在、新聞紙面やテレビの画面にこの言葉が現われない日はほとんどないといっても過言ではありません。この《環境》の2文字は、中国では遅くとも14世紀の末までには現われており、日本でも決して新しい言葉ではありません。しかし、第二次世界大戦以前はもちろん、戦後になっても
しばらくのあいだは、法律用語の一部などには用いられても、例えば書名に使えるような、一般性のある言葉ではなかったのです。
1965年の9月末、第1回『日本インダストリアル・デザイン会議』が上野公園内の東京文化会館で開催され、「インダストリアル・デザインは新しい生活環境の建設によって人間社会の幸福の増進を
はかるべきものであり」という文言で始まる声明を採択しました。日本のデザイン分野の大規模な会議で、《環境》という言葉が宣言や声明のキーワードとなった最初のものです。それ以前、1960年に東京で開催された『世界デザイン会議』では、グラフィック、インダストリアル・デザイン、環境という三分野に分かれて討議が進められ、グラフィックとインダストリアル・デザインはいわば環境には遠い位置付けにあったことを思えば、大きな変化でした。
いまではすっかり定着した建築環境工学という建築の研究分野名のひとつを、日本建築学会が正式に使い始めたのも1965年のことです。その前年、建築設計計画規準委員会が環境工学委員会と改称され、それを受けて、同学会の研究年報にその新しい名称が使われ始めたのです。建築環境工学は従来の建築計画原論と建築設備を総括した呼称として確立され、現在に至っています。日本の高度経済成長、あるいは成長感が頂点に達したのは、東京オリンピックが開催された1964年のことでした。同年には東海道新幹線が営業を始め、名神高速道路が全面開通しました。1960年の『世界デザイン会議』の東京開催も、そのような日本の経済成長期の勢いの産物でした。
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しかし、その繁栄の裏側では悲惨な公害が日本各地で顕在化していました。地域の急成長と市民の生活の急激な変化に対応できない都市自体あるいは国土全体が、極めて異常な状態にあったのです。

【オマーンの海岸線】

海洋国家オマーンはアラブ諸国で初めて環境省を設立し、国際自然環境保護連合(IUCN)のメンバーでもあります。1700kmに及ぶ海岸線の生態学調査の中でのアオウミガメの保護活動やマングローブ育成計画など、世界的に注目されています。1996年にはカブース国王の自然資源と文化遺産保護の功績にたいしてジョン. C.フィリップ賞が授与されました。また一般市民の環境に対する意識の向上にも力を注いでおり、環境教育やエコ・ツーリズムも盛んにおこなわれています。
by T.Shiobara
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■デザインとリサイクル
工業デザイナーや建築家たちは、明治以来の日本の殖産興業政策の結果である第二次世界大戦後の、高度経済成長がピークを過ぎ、そのひずみが顕在化して初めて、産業に代わる環境、……もう少し限定するならば、生活環境という次のテーマを発見したのでした。
公害対策基本法が制定されたのは1967年のことです。《環境》というテーマの発見が意外に早かったと私たちに感じさせるのは、さまざまな環境問題がいまだ未解決どころか、増大の一途をたどっているためでしょう。 近年、環境問題に対するデザイナーの意識は相当高まり、製品やそのパッケージのリサイクルに力を入れる企業も増えました。できるかぎりリサイクル可能な素材を用い、かつリサイクルしやすいデザインをするという考え方は欧米、とくにヨーロッパではかなり徹底されており、日本でも「エコ・デザイン」などと呼ばれて相当な広がりを見せています。最近では、小学校教育の段階でエコロジーやリサイクルといった考え方への学習導入が計られるようになったのです。もはや、デザイン系学科の卒業制作で、
単に新しい概念としてプレゼンテーションするような段階ではありません。それはすでにデザイン上の常識、あるいは、基本的チェック項目なのです。
大型家電の回収や再利用を義務付ける「特定家庭用機器の収集・再商品化法」、いわゆる「家電リサイクル法」の施行は目前に迫っており、業界は個々に、あるいは企業グループをつくって、それに対応しようとしています。使用済み大型家電製品を破砕して、鉄、銅、アルミニウムなどの金属、および各種プラスチックなどを回収する試験が各所で行われています。その対象となるのはテレビ、冷蔵庫、洗濯機、エアコンの四品目で、エアコンを除く残りの三品目は、かつての家電ブームの時代、つまり高度経済成長の裏側で公害が広がっていた時期に、「三種の神器」といわれたものです。
「家電リサイクル法」の施行は2001年の4月です。1971年に東京都江東区で始まったとされる「ごみ戦争」は、大量生産・大量消費の経済が減速した20世紀末になっても終ることなく、近代日本が経験するもっとも長い戦い、30年戦争になることがあらかじめ宣言されたのでした。
欧州戦線はすでに次の戦局に移っており、ヨーロッパでは、製造業者が回収を約束しない自動車は一切製造販売できなくなる日も近いでしょう。
【フェロポリス】

今世紀の建築や都市などの近代遺産をどのように継承・再利用するかが先進諸国の大きな課題となる中で、ドイツでは様々な先駆的プロジェクトが進められています。ザクセン・アンハルト州デッサウの北ゴルパ地帯に広がる採掘場跡地では、砂漠と化した大地に湖を造成し屋外劇場が建設されます。そこで廃虚となっている巨大な掘削機は劇場を取囲む舞台装置として蘇生します。旧東地区ではこうした工場地帯等の跡地を、都市環境の向上と再活性化へのテーマとして意欲的な開発に取組んでいます。
by T.Shiobara
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大きな屋根が印象的な、シュタムによる
水上パヴィリオン
シュタムの架橋現場で働く
コロンビアの人々と、水浴び
を楽しむ地元のこどもたち
■ゼロ・エミッション・デザイン
消費者をも巻き込んだ、というよりはむしろ消費者運動に行政や生産の側が促されたかたちのリサイクル以前に、環境汚染防止、省資源などを、まず生産者側が徹底する必要があったことはいうまでもありません。原料をすべて使い切り、廃棄物をまったく出さない製造技術の開発をめざす「ゼロ・エミッション zero emission」という概念がようやくヨーロッパで生まれたのは、1990年代になってからのことです。概念としてはヨーロッパ生まれですが、それを国連大学が取り上げ、1995年に「廃棄物ゼロ」計画を提唱して以来、川崎市や北九州市などの地方自治体が「ゼロ・エミッション工業団地」の試みを始めるなど、日本はこの「ゼロ・
エミッション」運動に先導的な役割を果たしています。ある産業の生産プロセスから出る廃棄物を別の産業の原料として活用する完全リサイクル型の生産システムをつくりだす試みが、工業団地などのかたちをとって進められつつあります。見方を変えれば、大きな工業生産力を有するだけに、日本のような国は「ゼロ・エミッション」生産の模範を世界に示す義務があるということでしょう。

■環境ボランティア
「ゼロ・エミッション」を追究しているのは工業国だけではありません。例えば、竹で住宅からハノーファー世界博覧会の大規模なパヴィリオンまでつくってしまう南米コロンビアの“バンブー・アーキ
テクト”シモン・ベレスは「ゼロ・エミッション建築家」でもあります。成長の早い竹は、熱帯や亜熱帯地方の理想的建築材料であり、有害な廃棄物を出しません。
コンクリートまたはセメントを詰めた接合部は、ベレスの考案に基づいています
また、彼が考案したジョイント法を用いれば、バンブー・ビルディングは地震にも強いのです。同時に、亜熱帯地方は住宅問題の深刻な人口急増地帯でもあり、さまざまな意味を込めて、彼らは「竹は世界を救う」とさえ主張しています。ベレスは最近、日本の匠から、竹をいぶして腐りにくくする方法を学んだと喜んでいました。
近年注目を集め、ヨーロッパでもワークショップやデモンストレーションを行なうことも多いベレスには、一種の取り巻きグループがあります。いわば「竹で世界を救おう」と世界各地から集まった若者たちのボランティア・グループです。ドイツ出身のヨルゲ・シュタムはベレスの取り巻きのひとりというよりは、南米へ渡ったヨーロッパ人ボランティアであり、竹で30メートルという大スパンの、しかも実に美しい橋を山間の村々に架け、コロンビアの人々に感謝されています。シュタムがコロンビアへ渡ったのは、実はある美しいコロンビア娘に魅せられてのことだったそうです。彼はいまでは、独自に屋根付きの大規模な橋を架け、建物をつくり、ベレスの協力者としても活躍しています。
Photo by JORGE STAMM(bamboo architect)
コロンビアでは長大な竹が容易に入手でき、その意味でも理想的な建材です
シュタムが架ける竹の橋には、全長30メートルを超えるものもあります
シュタムの竹の橋は、小型トラックが通行できる構造的強度をもっています
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【緑の住宅】

有機的フォルム、豊かなグリーン、エネルギーのリサイクルという3つの要素がエコロジカルな家の特徴です。それは「家」が閉鎖的な箱ではなく、自然へ向けての壁を排した開放系であることを意味しています。それは人工的な都市というものに対して、自然を呼び込んだ住環境としての「人の住める都市づくり」を目ざしているのです。ドイツでは都心の開発にもハウジングの比率を多くする傾向にあり、生活者のアクセスは日本に比べると格段に良いものです.
by T.Shiobara
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