情報誌「ネルシス」 vol.3 2002

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P-06[写真構成]足尾銅山――「公害の原点」に再び緑を…石井雅義
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これからの環境デザインには目に見えないところへの配慮、例えば土壌や水の状態、微気象や樹木の健康など、科学的なことへの深い理解が求められています。特に近年は酸性雨による窒素の高濃度化、産業廃棄物による土壌や地下水の汚染などによる生態系へのダメージは取り返しのつかないところまできているといわれます。

2003年1月から施行される市街
地を対象とした「土壌汚染対策法」では、汚染土壌の浄化・修復責任、損害賠償責任が追求されることになり、にわかに土への関心が高まっています。そうした現実を踏まえながら、環境デザインの新しい潮流が表れています。それは、20世紀末の大規模開発によって破壊された自然環境をできる限り修復し、わずかに残った自然に対してはダメージを極力小さくする、という考え方です。

今回の特集では、ランドスケー プ・エコロジーの先進国である欧米のさまざまな試みをみながら、21世紀に持ち越された最大の課題といわれる「土と水の再生」にフォーカスし、環境再生へ新しい取り組み方を考えます。
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文…鷲谷いづみ(東京大学農学生命科学研究科教授)
1992年の地球サミット
生物多様性条約の採択
生物多様性、それはこの地球上には数十億年の生命の歴史がつくりだした夥しい種類の生き物が互いにかかわりながら生きておりヒトもその一員であることをあらわす含蓄の深いことばである。最近では人間活動の強い影響のもとに多くの生物の種類が絶滅したり、絶滅の危険にさらされ、急激にしかも全般的に自然の豊かさが失われつつある。そのことは、自然の恵み、すなわち生態系を構成する多様な生物の連携プレーによって産み出される財やサービスにたよって生きざるを得ない私たち人類の将来に暗い陰を投げかけるものである。
 そのような危機意識の高まりから、1992年の地球サミットで「生物多様性条約」が採択された。生物の絶滅と生き物豊かな森林やウエットランドなどの喪失を防ぎ、自然の恵みを持続的に利用できるようにするための条約である。現在では183カ国がこの条約に加わり、自国の生物多様性の保全、つまりそれぞれの国に固有な自然を大切にする義務を負っている。
 条約はその第6条で、
それぞれの国が生物多様性の保全と持続可能な利用を目的とした「国家戦略」つまり、国をあげて取り組むための方針と計画をつくることを求めている。
 それに応えて日本も、日本列島の自然によって生かされている私たちにとってかけがえのない日本列島の生物多様性を保全し、持続的に利用するための最初の「国家戦略」を1995年に策定した。条約発効から2年という早期に策定し、
生物多様性というキーワードを国の政策の中に位置づけたという積極的な面があったが、各省庁がすでに実施している政策を集めたものでしっかりした現状分析に基づいた実効性のあるものにはなりきっていなかった。
2002年の新戦略
3つの危機の明確化
今回の見直しにおいては、その不十分さを克服してより効果的な戦略に改めるべく、時間をかけて現状分析や具体的な方策の議論が広く各省庁だけでなくNPO、NGOをも交えて行われた。そして、わが国の自然環境施策のトータルプランであり、しかも実践的な行動計画としての性格をもつ新・戦略が策定された。
 前戦略が策定された6年前に比べると、自然と共生していくことに対する意識が大いに高まってきている一方で、危機そのものはいっそうの深まりをみせている。そのような社会と自然の状況にあわせて、前戦略よりもいっそうつくることが
めざされた。何が生物多様性を脅かしているのか、人と自然の共生を難しくしているのかを明確にすることは、有効な戦略をつくるためのもっとも重要な前提となる。新しい戦略では、危機の原因や背景をより深く分析し、次の3つの危機としてまとめている。
 第一の危機は、開発、利用のための乱獲など、人間活動の強い影響のもとで、絶滅の危険にさらされ、豊かな自然が失われるという従来から意識されていたが、最近いっそう深刻化している危機である。世界中で問題となっているユニバーサルな危機であるといってよい。
 第二の危機は、伝統的な農業や生活と係わる自然への働きかけがなくなったり、里山や田園の自然の手入れが
不十分になったり変質したことによるものである。日本のように伝統的な人の営みの場にも豊かな自然が維持されていた地域に特有な危機であるということもできる。
 第三の危機は、日本の自然になじまない、新たにもたらされた生物、外来種や、自然界には存在しない化学物質によってもたらされる問題である。
 これらの危機が重なり合って、しばらく前までは普通にみられた身近な動植物、メダカやタガメやキキョウやフジバカマまでが絶滅の危険にさらされるようになった。トキやコウノトリは、野生ではすでに絶滅の憂き目にあっている。
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官・民・学が協力してすすめる
自然再生事業
日本列島の背骨をなす山脈から海にいたるまで、それぞれの場所にふさわしい自然の豊かさが失われ、人々と自然との関係も疎遠になりつつある。それぞれの地方の自然に支えられてきた私たちの生活や文化までもが貧しいものとなってしまうという深刻な危機であるともいえる。特に日本の特徴的な自然ともいえる水辺では、生物多様性の危機の進行が著しい。
 これらの危機を乗り越えるにはどうしたらよいのか、国家戦略には、そのためのみちすじや方針・方策が述べられている。危機は多様な原因から生じ、産業構造の変化、伝統的な営みの喪失などとも深く係わっている。そこで、従来のように保護区などで自然を守ることに
加えて、里山や農村地域の自然の保全や管理の活動をさまざまな面から多様な手法で支援することや、自然がすでに失われてしまった場所でその再生を目指して官・民・学が協力してすすめる自然再生事業などが提案されている。身近な自然や環境について学び合う、生物多様性保全のための学習や、これまで十分とはいえなかった自然環境についてのデータを飛躍的に増やすことなども方針として掲げられている。
 現状をしっかりと科学的に把握し、その情報を広く国民が共有することなしには、生物多様性の保全は不可能だからである。自然環境に関するデータを充実させ、日本列島における生物多様性の変化を広く監視するため、全国1000ヶ所に国設のモニタリングサイトを設けるという、斬新なプランも
記されている。
 自然再生の事業は、すでに自然が失われてしまった場所で、NPOや市民と行政が協働し、健全な生態系を取り戻すことを目的として順応的手法にもとづいてに実施する取り組みである。
 水辺がコンクリートで護岸され、ウエットランドが埋め立てられ、水質の悪化もあいまって、日本の水草の3分の1が絶滅の危険にさらされている。そのような水辺の再生をめざす自然再生事業はすでに霞ヶ浦で進められている。多くの市民や学童の参加を得て進められているアサザプロジェクトである。シンボルとされている水草のアサザは絶滅危惧種である。失われた生育場所を再生し、科学的な知見にもとづきながら個体群の回復が図られている。
制定めざす
自然再生推進法
自然再生に関しては、さらに議員立法で、「自然再生推進法」の制定がめざされるという。基本理念やその実施の方針や体制などを定める基本法である。「自然再生」は、「過去に損なわれた自然環境を取り戻すことを目的として、関係行政機関、関係地方公共団体、地域住民、NPO、自然環境に関し専門的知識を有する者等の地域の多様な主体が参加して、
河川、湿原、干潟、藻場、里山、里地、森林その他の自然環境を保全し、再生し、若しくは創出し、またはその状態を維持管理すること」と定義され、その基本理念として、
1)安全で恵み豊かな自然が将来の世代にわたって維持されるとともに自然と共生する社会の実現を図り、あわせて地球環境の保全に寄与する。
2)多様な主体が連携しつつ、自主的かつ積極的に取り組む。3)地域における自然環境の特性、自然の復元力および
生態系の微妙な均衡を踏まえ、かつ、科学的知見に基づいて実施。
4)自然再生の状況を監視し、その監視の結果に科学的な評価を加え、これを事業に反映。
5)自然環境の保全に関する学習の場としての活用も図る。
ことなどがあげられるらしい。
 今後、このような仕組みを活用して、それぞれの地域の人々の発案により、さまざまな形の自然再生事業が実施されるであろう。
単なる植林から
自然再生へ
日本の公害の原点ともいわれる足尾では、その山々は、鉱毒で植生はおろか土壌まで失った。そこでも植生を取り戻そうとするボランティアの方たちの懸命の努力が続けられている。一方、森を失った足尾の山から流失した土が貯まっている
下流の渡良瀬遊水地では、すでに自然再生事業がはじまっており、刈り取ったヨシを足尾の山に運ぶことで森づくりのための土壌再生に寄与しようとする上下流が連携する市民の取り組みがすすめられている。単に植林というに止まらず、たとえ難しくとも、かつてのような土壌と野生動植物をも蘇らせる壮大な森林生態系回復のための 取り組みが足尾の自然再生事業としてふさわしいのではないだろうか。多様な恵みを与えてくれる森を蘇らせるための協働はすでに始まっているが、下流域と上流域それぞれの自然再生の流れが大きく一つに合流したときこそ、再生への確かな展望が開かれるだろう。
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