情報誌「ネルシス」 vol.5 2004

P-30 がんばる自治体のまちづくり奮闘記2 岩手県西磐井郡平泉町/子孫に誇れる町をつくろう! 世界遺産登録を目指し新たなまちづくりに挑戦する
P-44 Product Message[プロダクト メッセージ]
P38-43
人口1000万人を超える大都市ソウルの中心部で、大規模な河川復元事業が進められている。漢江に合流する延長11kmの清渓川(チョン ゲ チョン)は、1950年代にコンクリートで覆われ、1日10万台もの車が往来する幹線道路に姿を変えている。構造物の老朽化と環境問題から2003年7月、高架道路を撤去し、自然河川に戻す復元工事が着工された。環境だけでなく石橋などの文化遺産、歴史や文化も併せて復元し、川を文化観光資源として活用するというこの計画は、いま世界各国から注目されている。
写真-3 清渓川弘報館の展示ジオラマ
[上]対象地域周辺の将来イメージ
[下]施工前の清渓川復元事業対象地域周辺
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文……一ノ瀬俊明
(独立行政法人国立環境研究所 地球環境研究センター 主任研究員)
はじめに
河川など都市内の水面は、都市を構成するほかの地表面と比較して表面温度が低く、そこからの蒸発が盛んであり、その場所の地表面が大気を暖める効果は小さくなっている。これら水面の空間的な規模は都市全体に比較して決して大きなものではないが、水面付近とほかの地表面上との間には、郊外と都市の気温差に相当する気温差を生じることもある。では、今日盛んに提唱されている環境共生型まちづくり、例えば、都心における清流の大規模な復活は、本当に都市の暑さの緩和に効果があるのだろうか。これを検証する絶好の機会が、今まさに訪れようとしている。
清渓川復元の意義
かつて清渓川は、ソウル市中心部を東西に流れ、漢江に合流する延長約11kmの都市内河川であった(写真-1図-1)。洪水対策として大規模な改修工事の行われた李氏朝鮮の時代から、天然の都市下水路としての性格を有していたが、20世紀初頭のソウルへの人口集中は、清渓川周辺地域を代表的な人口密集地域へと変え、河川周辺地域の衛生問題を深刻化させた。この問題に対処
図-1 ソウル市における「清渓川復元」事業対象地(点線で囲まれた地域)。ソウル市(面積605.52km2: 1997年、人口1026万人: 2000年)の範囲を左下に示す
するべく行われた1950年代後半に始まる本格的な覆蓋道路化(暗渠化)工事を受け、沿道の市街化と交通量の増加が進行し、70年代初頭には約6kmの清渓高架道路(対面通行4車線)も完成した。これは東大門市場などソウル市の繁華街を通過している。今日、かつての清渓川の面影を見ることはできない。
 しかし近年、聖水大橋崩落事故を受けてのインフラ一斉点検の結果、高架道路や覆蓋構造物にも安全性の問題(手抜き工事、暗渠からの腐食性ガスによる大気汚染)が指摘された(写真-2)。
 また、人と自然が中心となる環境にやさしいまちづくりが見直されており、この機会に清渓川を都市内の大規模清流・親水空間・高価値ビオトープとして復活させようという動きが市民サイドからも巻き起こっていった。
 このような背景のもと、ソウル市政府は、この高架道路を数キロにわたって撤去し、従前の都市内河川(清渓川)を復活させる事業を決定した(写真-3、4、図-2、3)。
写真-1 1920年代の清渓川。
川で女性らが洗濯を行っていた
(提供:ソウル市清渓川復元 推進本部)
写真-2 廣橋付近の暗渠空間の様子
写真-4(上)東大門付近における施工前の景観。新平和(シンピョンワ)市場屋上から西方を望む 
図-3(下)改修後の将来予測 
(提供:ソウル市清渓川復元推進本部)
図-2 清渓川復元事業対象地域周辺図。清渓川路のうち施工対象区間に黄色のハッチをかけた。赤枠の範囲が写真-3[下]のジオラマに示されている。紫の楕円と矢印が各写真(写真-4、5、6、8)の撮影個所と視線方向
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写真-5 城東(ソンドン)区庁から西方を望む
[左]2003年6月中旬(高架道路閉鎖直前)
[上]同年8月中旬(高架道路撤去工事中)
 2003年7月1日に着工したこの清渓川復元工事では、側道(一方通行で各2〜4車線)を残し、高架道路を撤去するところから始まった(写真-5、6)。また、その次に直下の暗渠を開削し、最終的には緑豊かな親水空間を創出するというものである(図-4)。中央の高架部分を含めた清渓川路の幅は全体で50m前後。初年度は撤去が中心となり、次年度は河道の掘削へと進む。清渓川の流域面積は50.96km2と狭いため、水量維持のために下水処理水なども水源として想定されている。
 この復元工事は周辺地域の再開発と一体のものとして検討されており、復元後の良好な環境が周辺地域の再開発を加速させ、地域の均衡ある発展やローカルな経済の活性化にも貢献すると
考えられている。復元工事に先立っては当該事業のもたらす経済効果、生態系への影響、水環境影響などに関して多面的なアセスメントが行われてきている。アセスメントの段階では合意形成に向けた国際シンポジウム(2002年)なども開かれ、日本からは当時、国土交通省におられた島谷幸宏博士もビオトープの専門家としてパネリストに招聘されている。
 また、かつて清渓川には個性豊かな14本の石橋が架かっており、そのそれぞれが歴史的エピソードを持っていた(写真-7)。例えば廣橋では、正月15日や節分には橋踏み行事が行われており、清渓川はソウルの歴史と文化の一部を成していたともいえる。その意味では、今回の復元事業には「600年の古都ソウルにおける
歴史と文化の回復」という意義も強調されている。
都心における
清流の大規模整備
日本をはじめ世界のさまざまな都市で、都市環境の再生について大きな関心が集まっており、市街地に自然度の高いビオトープを再生するミティゲーションによる手法が注目されているが、都市内におけるこのような大規模な清流の復活は世界にも例がない。この事業の環境改善効果としては、交通量の減少による大気浄化はもとより、河川周辺の夏季における暑熱の緩和(気温上昇の抑制)効果も注目されている。今回のような大規模なミティゲーションについては先行事例がなく、
写真-6 高架道路撤去工事の様子
城東区庁付近 東大門市場付近の新平和市場屋上から東方を望む 廣橋付近の清渓川路・三一路(サミルノ)交差点
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図-4 清渓川復元工事の方法および工程
交通処理、安全施設、工事用施設の設置
高架道路の下部に仮設足場およびトタン板を設置
床板スラブおよび既存の横げたを撤去、
中央部の覆蓋構造を撤去

床板を部分切断した後、積地場所へ運搬−クレーンでビームを解体、切断した後に運搬−覆蓋床板部分を切断、解体、運搬
橋脚構造物の撤去
橋脚部分を切断、解体、運搬−仮道路をつくる
遮集管渠、仮設道路の建設、商店街側の覆蓋構造物を撤去
遮集管渠を両側に建設−一定区間ごとに覆蓋構造を撤去すると同時に、道路を建設
河川および造景工事
河川の建設−造景施設−夜間景観づくり
(提供:ソウル市清渓川復元推進本部)
写真-7 かつての廣橋
そこでの橋踏み行事
石築護岸
1953年の廣橋周辺の風景
 
(提供:ソウル市清渓川復元推進本部)
 
数値計算で仮想的には評価され得たものの、実地(大気汚染やヒートアイランドの深刻化している現実の大都市内)でその効果を検証できる機会は世界で初めてといえる。自然共生による都市再生戦略との関連で、都市内の自然生態系としての水と緑のネットワークづくりが検討されているわが国のまちづくりにも、大いに役立つ貴重なデータが取得される、またとないチャンスである。
 以上の背景を踏まえ、都心の大規模河川空間復元がもたらす夏の暑さの緩和効果の定量化を目的として、筆者らは当該事業の前後にわたる暑熱環境の総合的なモニタリング(対象地域に
おける気象観測)に着手した。工事完成後の2006年夏まで継続的に一連のモニタリングおよび集中観測(8月を中心に)を推進し、都市大気に与えられた熱負荷の経年変化および事業対象地域周辺における環境再生効果(大気・熱環境)を明らかにしようというものである。
ハイピッチで進む
高架道路撤去工事
写真-8[左]は、2003年8月13日午前における清渓川路とベオゲ道の交差点の様子である。その2日後の8月15日午前には、橋げたを残して高架道路が撤去されて
しまっている(写真-8[右])。このように、撤去工事は昼夜兼行の非常なハイピッチで進んでいる。工事に伴って発生する解体廃材も大変な量であるが、すべて決められた処分場に運ばれ、破砕の後、再利用のときを待っている。
 一般に韓国は、政策決定に関してはトップダウン的性格が強い国のように思われている。このような大胆なミティゲーション事業が実行に移されるのもその一端といえよう。しかし、もちろん反対世論も存在する。東大門市場周辺の歩道橋上などでは、零細露天商たちが居座って営業し、ささやかな抵抗を続けていた(写真-9)。この一帯は、地方から商人が衣料の
写真-8 清渓川路・ベオゲ道交差点の様子
[左]2003年8月13日午前(高架道路撤去前日)
[右]同月15日午前(高架道路撤去翌日)
写真-9 東大門市場付近の新平和市場屋上から。進む高架道路撤去工事の足元では、零細露天商たちがパラソルを広げて営業を続けていた
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写真-10 老朽化が進む高架道路周辺の中層住宅(高架道路閉鎖直前の6月中旬撮影)
写真-11 側道はやっぱり慢性的大渋滞(新平和市場わきにて)
写真-12 筆者らのプロジェクトによる気象観測の様子
(左上)気温・湿度の移動観測。(左下・右)釣りざおを改良した係留ゾンデによる都市大気構造の鉛直観測。日本のTV局も取材に訪れた
買い付けに訪れる生活臭に満ちた場所である。昼どきともなれば、出前ランチ(主にチゲとライスのセット)のトレーを器用に頭に乗せたアジュンマ(おばさん)が、買い物客と恐る恐るすれ違う場面を見かける。このような現在のまちなみが一掃され、ブティックのショーウィンドウが並ぶおしゃれなまちなみへと変わることにより、彼らは生活基盤を失ってしまうのだ(写真-10)。
 また、清渓川路はいわば、江北地域(漢江の北側)を東西に貫く市内交通の動脈である。高架道路を失った現在では、その機能はほかの周辺幹線道路に移されたはずであるが、着工前にう回道路の確保や公共交通の利用案内が徹底されたにもかかわらず、予想どおり慢性的な渋滞に陥って
しまったようである(写真-11)。タクシーも清渓川路にはあまり近づこうとしない。
都市開発の
パラダイム転換に向けて
筆者は前述のとおり、大韓民国気象庁気象研究所および東京都立大学地理学教室との共同研究として、撤去工事に伴う高架道路閉鎖直前の2003年6月中旬より、高架道路撤去区間周辺の11地点(主に小学校の校庭などの百葉箱を活用)に簡易気象観測ステーション(気温、湿度)を設置し、撤去工事に伴う高架道路閉鎖直前の2003年6月中旬より10分間隔のデータ取得を開始した(写真-12)。
 また着工初期段階の2003年8月中旬には、集中的な移動
観測や、サーモカメラ(地表面熱画像を記録する装置)などによる地表面大規模改変の大気環境インパクトの計測・定量的評価を行った。この期間、日本の上空に前線が居座ったため、日本では10月並みの気候となったが、前線の北側のソウルは連日の快晴に恵まれ、最高気温は32度前後に達した。日中の湿度は40%程度であったため、東京の極暑に比べればしのぎやすかった印象もある。
 このようなモニタリングを復元工事完成後の2006年夏まで継続することにより、清渓川復元による暑熱緩和効果が実証されることとなれば、都市開発の世界的なパラダイム転換に相当の貢献ができるはずである。この成果が日本の都市に生かされる日も近い。
参考資料:ソウル市広報担当官室ホームページ http://japanese.seoul.go.kr/chungaehome/seoul/main.htm
取材協力:ソウル市清渓川復元推進本部、大韓民国気象庁気象研究所 ICHINOSE, Toshiaki toshiaki@nies.go.jp
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■ソウル市長の公約
2002年11月、ソウル市から国際シンポジウムの講演依頼があった。ソウル市中央部を流下する、暗渠化した清渓川復元事業の開始に当たり、参考になる話をしてもらいたいという依頼である。「詳しくはソウル市のホームページを見てほしい」とのことで、ソウル市庁の日本語のホームページを覗くと詳しい内容が紹介してある。そのとき、初めて清渓川の復元事業のことを知ったのであるが、都心の高架道路を撤去し、河川を復元する大胆な事業に驚いた。
 清渓川はソウル市の中心部を貫流する流域面積51km2の中河川である。日本でいえば、東京の神田川が100km2、神戸の芦屋川や夙川が8-9km2、眼鏡橋で有名な長崎の中島川が18km2であるから、都市河川として決して小さい規模ではない。
 清渓川を「蓋かけ河川」とする計画は、1895年の大韓帝国の時代にもあったが、計画を本格化させ、最初に「蓋かけ工事」をしたのは占領時代の日本である。事業が本格化したのは朝鮮戦争の終結後の1958年からで、最終的な完成は1978年である。
 今回の復元工事は、延長5.8kmに及ぶもので、高架道路を撤去し、川をオープン化し、人と自然が中心になる環境を再生する事業である。高架道路の老朽化も、事業を進める大きな理由であるが、「ソウルのアイデンティティ確保」「都市管理に関する新たなパラダイムの構築」「ソウルの産業競争力の強化」を標榜し、21世紀文化環境都市ソウルを目指すもので、その志と理念は極めて高い。この事業
文・写真……島谷幸宏
九州大学大学院工学研究院
環境都市部門
流域システム工学研究室
教授
はソウル市長が選挙の公約と、して挙げており、2002年7月の市長就任直後から事業に着手し、現在すでに高架橋撤去と、急ピッチで仕事が進められている。市長のリーダーシップと構想力、行動力には驚かされる。
 具体的には、高架道路の撤去、上水道などの移設、両岸の道路の建設、橋梁の復元や水路の拡幅、流量の確保、景観の整備、夜間景観の照明などを行い、2005年9月には完成予定である。平常時の流量は地下鉄への浸出水、下水処理水、漢江からの導水などによって、日量12万トンの水が確保される。高架道路の撤去に当たっては、バス路線の改編、地下鉄運営の改善、都心交通量を抑えるための駐車管理などを通して、大衆交通を優先し、環境や歩行者対策を重視する抜本的な交通体系の再編が図られる。
 以上が事業の概要であるが、清渓川自体を歴史的な文化遺産ととらえ、清渓川の石造りの古橋を復元するなどして、水辺文化ストリートをつくりあげようというスケールの大きい事業である。おそらく清渓川の復元により、ソウル市は世界的にも着目され、大きく変貌するであろう。
■住民参加の手法に関心を寄せる
2002年のシンポジウムにおける私の講演のなかでいちばん反響を呼んだのが、合意形成の話であった。当時、国土交通省の武雄河川事務所の所長であった私は、松浦川のアザメの瀬で湿地の再生に取り掛かっていた。その事業では徹底した住民参加の手法を取り入れ、「繰り返し話し合う」「自由参加の検討会」「やってよ、ではなくやろう」などを掛け声に、繰り返し話し合いを続けていた。会場からは、「私たちも合意形成で苦労している。もっと話を聞かせてくれ」「今回の事業は周辺の市民生活に大きな影響を与え、合意形成が必要である。そのポイントは?」と矢継ぎ早の質問。聴衆の住民参加への関心の高さに非常に驚いたものである。
その後の経過を見ていると、公聴会の開催や市民委員会の活動など、住民の理解を得るための住民参加の努力が続けられている。
■21世紀の課題を見据える
さて、わが国は現在不況下で財政構造改革の途上ということもあり、自然や文化に対して投資を行うという雰囲気にはない。しかし、中国の上海はニューヨークを超える摩天楼都市を
目指し超高層建築ラッシュで、ヨーロッパやアメリカでは大規模な自然再生事業が開始されている。アメリカのエバーグレイズの湿地再生はなんと1兆円プロジェクトである。このように、環境の復元再生は、20世紀に環境を劣化させてきた人類の、反省を込めた21世紀への重要な課題である。
 ソウル市の清渓川の復元事業は都市中心部の再開発に、都心に自然を再生するという新しいパラダイムを提示した。このような動きは、周辺諸国にも波及していくことであろう。わが国も自然再生法、景観法と環境に関する新しい法律が制定され、方向性は出てきたように思う。次世代あるいは次々世代が誇りに思えるような、環境再生を機軸とした新しい国土形成や都市形成の理論を構築しなければならない時期にきている。
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