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買い付けに訪れる生活臭に満ちた場所である。昼どきともなれば、出前ランチ(主にチゲとライスのセット)のトレーを器用に頭に乗せたアジュンマ(おばさん)が、買い物客と恐る恐るすれ違う場面を見かける。このような現在のまちなみが一掃され、ブティックのショーウィンドウが並ぶおしゃれなまちなみへと変わることにより、彼らは生活基盤を失ってしまうのだ(写真-10)。
また、清渓川路はいわば、江北地域(漢江の北側)を東西に貫く市内交通の動脈である。高架道路を失った現在では、その機能はほかの周辺幹線道路に移されたはずであるが、着工前にう回道路の確保や公共交通の利用案内が徹底されたにもかかわらず、予想どおり慢性的な渋滞に陥って |
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しまったようである(写真-11)。タクシーも清渓川路にはあまり近づこうとしない。
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都市開発の パラダイム転換に向けて |
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筆者は前述のとおり、大韓民国気象庁気象研究所および東京都立大学地理学教室との共同研究として、撤去工事に伴う高架道路閉鎖直前の2003年6月中旬より、高架道路撤去区間周辺の11地点(主に小学校の校庭などの百葉箱を活用)に簡易気象観測ステーション(気温、湿度)を設置し、撤去工事に伴う高架道路閉鎖直前の2003年6月中旬より10分間隔のデータ取得を開始した(写真-12)。
また着工初期段階の2003年8月中旬には、集中的な移動 |
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観測や、サーモカメラ(地表面熱画像を記録する装置)などによる地表面大規模改変の大気環境インパクトの計測・定量的評価を行った。この期間、日本の上空に前線が居座ったため、日本では10月並みの気候となったが、前線の北側のソウルは連日の快晴に恵まれ、最高気温は32度前後に達した。日中の湿度は40%程度であったため、東京の極暑に比べればしのぎやすかった印象もある。
このようなモニタリングを復元工事完成後の2006年夏まで継続することにより、清渓川復元による暑熱緩和効果が実証されることとなれば、都市開発の世界的なパラダイム転換に相当の貢献ができるはずである。この成果が日本の都市に生かされる日も近い。 |
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