情報誌「ネルシス」 vol.6 2005

P-32 がんばる自治体のまちづくり奮闘記 長野県高井郡小布施町/コミュニケーションが町を豊かにする 北斎が紡いだ、うるおいのあるまちづくり
P-44 Product Message [プロダクト メッセージ]

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目次
シリーズ 自然浴環境
フランス・アルザス地方のエコミュージアムによる活性化の取り組み
文・写真……藤本雅生((株)日本設計都市計画群再開発部)
フランスで発祥し、今や世界に広がった「エコミュゼ(エコミュージアム)」。エコミュージアムは、住民を中心に行政、専門家がパートナーシップをとりながら、その地域で継承されてきた文化や慣習、自然遺産などを保存し、活用する地域社会活動の場であり、過去と現在を結ぶ新しい博物館である。日本においても、地域活性化の観点からエコミュージアムへの取り組みが行われている。
エコミュゼ(Ecomusee)とは
60年代後半、フランスで都市化が進み、農村社会が危機的状況に陥るなかで、地域の文化を再発見しようという試みから、エコミュゼの概念は生まれた。その言葉はフランスの博物館学者ジョルジュ・アンリ・リヴィエール(Georges Henri Riviee)、ユグ・ドゥ・ヴァリーヌ-ボアン(Hugues de Varine-Bohan)らによる議論のなかから出てきたものであるが、日本エコミュージアム研究会の新井重三氏は、リヴィエールがエコミュゼを「地域社会の人々の生活と、そこに自然環境、社会環境の発達過程を史的に探求し、自然遺産および文化遺産を現地において保存し、育成し、展示することを通して、当該地域社会の発展に寄与することを目的とする博物館」と述べていると紹介している。*1
 また、横浜国立大学工学部教授で初代日本エコミュージアム研究会事務局長の大原一興氏は
ECOMUSEE
これらのさまざまな概念上の特徴を、既存の博物館や地域活動の類似概念との関係において、右の図のように3つの要素がバランスよく整い、かつ一体的に密接なネットワークを組んでいることが理想的な姿であるとしている。*2
エコミュゼ・ダルザス(Ecomusee d' Alsace)
2005年現在、社会博物館連盟に加盟している博物館のなかで「エコミュゼ」と名づけられているものは45館(41館がフランス国内)となっている。なかでも「エコミュゼ・ダルザス」 *3は、規模が大きく、今も持続的に発展している。
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エコミュージアムの概念
設立の背景と経過
1971年、アルザス地方で取り壊しの危機にあった一軒の農家住宅を保存しようという、非営利団体「アルザス農民協会」(以下、農民協会)による活動が発端となっている。その農家住宅をその場所にあるまま保存することができなかったことから、他の場所に移すために解体し、適切な移築場所を探していた。また一方で、翌年の1972年から、ボランティアネットワークを介して、同様に取り壊しの危機にある建築物や工作物の収集を開始した。1980年、農民協会は、ミュールーズとコルマールの間に位置するカリウム鉱山跡地の一部
を移築先として決定し、「エコ
ミュゼ・ダルザス(Ecomusee d' Alsace)」(以下、エコミュゼ)を設立した。そして、公共団体から無償で土地を借り、アルザス地方のさまざまな場所から移築され修復された建築物20棟とともに、1984年、正式にエコミュゼとしてオープンした。
 オープンに至る過程では、ボランティアの活動が非常に重要な役割を果たしたこと、それらの活動が常に行政(県、地域圏など)によって支援されてきたこと、アルザス地域の企業の協力があったことなどが、重要なポイントであった。
 1991年、農民協会は、所有する不動産を新たに設立された「エコミュゼのための所有者協会」(以下、所有者協会)に譲り渡すとともに、その保存活動を支援していたが、農民協会と所有者協会を1つにまとめたほうが効率的であるという考え方から、2つの協会は「アルザスのエコミュゼ協会」(以下、協会)に統一され、現在、エコミュゼの管理、運営を一貫して行っている。
 この協会は、1ボランティアグループ、2企業、社会・専門的機関、教育機関などの法人、3公共団体の3つのグループで構成されており、今なお多くの人の加入を呼びかけている。加入者は、エコミュゼで実施されるイベント情報を定期的に受け取ることができ、協会のメンバーとして保存活動に
参加し、協会側は、エコミュゼそのものに愛着を覚えてもらうことが期待できる。
 2004年、エコミュゼは、これまでの農村集落地区に加えて、鉱山地区を新たにオープンさせた。そこはもともと、カリウム鉱山の中心的役割を果たしていた場所であったが、2004年の創業100周年と同時に完全に閉山することが
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ずいぶん前から決まっていたことから、その後の活用について多くの人が関心を持っていた。
 結局、産業建築物としての質の高さから保存する必要性を感じた別の非営利団体が1986年に取得したものの、1991年には農民協会と同様、所有者協会にその不動産を譲り渡すこととなり、その活用についても一任し、現在は農村集落地区と同様、協会が管理している。建物の修復とともに、リタイアした鉱夫のボランティアによって機械の修復などが行われたが、すべての建物を昔のように修復するのではなく、修復は一部にとどまり、残りについては意図的に廃墟のままとしている。
施設の概要
農村集落地区は、オープン当初20棟だった建物が徐々に増え、現在では70棟となっている。移築にあたっては、建物を無秩序に配置するのではなく、アルザス地方のどの地域のものなのかを尊重して地域ごとに7つのエリアに分けて移築している。いちばん古いものは1492年の農家住宅で、すでに500年以上が経過している。ここには、領主住宅のような裕福なものや、ぶどう農家の家、季節労働者用の住宅のほか、納屋、馬小屋、牛小屋はもちろん、油屋、共同洗濯場、見張り塔、穀物倉庫、サイロ、製粉場、蒸留工場、
養蜂場、鳩小屋など、集落に必要な施設が集まっており、ほとんどがアルザスの伝統的手法であるハーフティンバー(木骨組積造り)や、藁葺き屋根を用いた魅力的な建物である。
 また、できるだけ当時の生活を再現するため、畑では小麦、大麦、ライ麦などの穀類に加えて、野菜や、ワイン用のぶどうの栽培も行っているほか、各農家では、家庭菜園として野菜を作ったり、豚、山羊、鶏などの家畜を飼ったりしている。
 もちろん、アルザス料理を満喫できるレストランや、エコミュゼを十分に楽しむための宿泊施設も敷地内に用意されている。
ホテルは、アルザス様式の2階建ての建物10棟ほどで構成されており、家具に至るまでアルザス地方のものを使用している。
 建築物ばかりでなく、手工業の保存にも力を注いでおり、失われた技術などの復活にも努めている。エコミュゼ内では、荷車を日常的に使っているため、その製作や修復をする車大工、荷車の車輪を作るための鍛冶屋、ぶどう酒づくりの樽や家庭で使うバケツ・桶などを作る樽職人などが実際にエコミュゼ内で仕事をしている。
 また、新たな技術の開発も試みており、樽でビールやシュークルート(キャベツの酢づけ)、カブの酢づけなどができるまでに
技術が向上している。これら職人の作業の様子は、納屋や中庭などといった決まった場所でほぼ毎日見学することができる。
 直接参加できるプログラムとして、アルザスの料理教室、伝統的イベントの飾りつけ、木彫り、野菜の収穫、牛の乳しぼり、パン焼きなどのクラスが常に開催されており、子供だけでなく大人も参加が可能だ。また、教育的価値が高く評価されており、学校の課外活動としての利用も多く、1〜2日または1週間のプログラムが準備されている。
 アルザス地方は伝統的な多くの祭りが残されているため、エコミュゼ内でも、
2月の「大騒ぎ」、3月の「復活祭」、5月の「五旬祭の馬の行列」、12月の「クリスマス」などの伝統的イベントを数多く実施しているが、例えば2005年5月には新たに「夜の光」をテーマに、初めての夜間営業のイベントが行われている。
 このようにエコミュゼは、建築物という生きた記憶とノウハウを同時に保存するという目的から、今ではアルザス地方の生活に関することすべてが包含され、まさに一つの村となっている。
 2004年にグランドオープンした鉱山地区では、約2時間半の2つのコースが用意されている。
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一つは建物の内部を巡回するコースで、エレベーターで25mのいちばん高い展望台に昇り、大きな窓を通して360度パノラマで景色を楽しむほか、展望室に展示されている、当時使われていた多くの機械を間近に見ることが可能だ。地下に降りると、当時の坑道を歩くことで、採掘の仕事がいかに暗闇のなかでの重労働であったかを垣間見ることもできる。もう一つは屋外のコースで、映像と音によるセノグラフィが、カリウム鉱山の100年の歴史を復元してくれるのを見たり、ガイドによる建築物や機械についての詳細な説明を聞きながら敷地内を散策したりするものだ。それにより、当時の鉱夫の仕事や生活を知ることができる。
 鉱山地区と、以前からの農村集落地区を結ぶ鉄道も、エコミュゼ内に開通している。これは、世界初の国際鉄道線であったストラスブール(Strasbourg)とバール(Bale)の間に建設された駅が取り壊しの危機にあったため、農家住宅と同様にエコミュゼ内に移築させたことがきっかけとなった。カリウム運搬に利用していた昔の線路と結合しており、いずれはSNCF(フランス国鉄)の駅と結びつけることを計画している。列車についても当時の車両を使うべく、1930年代のものをフランス中から探し求めた結果、交通博物館のコレクションから歴史遺産となっている車両を発見し、修復して活用している。
運営状況
最初の10年で1500万ユーロだった農村集落地区の整備費用は、そのほとんどを行政からの補助で賄っていた。しかし今回の鉱山地区の整備では、費用が2倍に膨れ上がり、民間企業とボランティアなどによる寄付(約1000万ユーロ)などが大きな財源となっている。
 エコミュゼ内では210人の職員と200人のボランティアが働いており、総売上はレストラン、ホテル、店舗などを含めて750万ユーロに上る。
 1984年のオープン以来、600万人の来訪者を受け入れてきた
エコミュゼは、2004年に20周年を迎えた。来訪者の内訳は、アルザス地方から約40%、アルザス地方以外のフランスから約40%、残り20%はフランス国外からである。このように多くの人を引きつける理由として、昔から使用していた本物の部材で正確に移築していることや、アルザスの日常生活の再現の場、技術の継承の場となっていることなどが挙げられるが、実際には数多くのイベントを行うなど集客に力を入れた施設運営の成果によるところが大きい。
 しかし、そこにエコミュージアムの概念の一つである住民の主体的参加を
どのように組み入れていくかが今後の課題であろう。
日本における取り組み
日本のエコミュージアムのなかでは、山形県朝日町の取り組みが最も注目される。朝日町は山形県のほぼ中央に位置し、あたりを国立公園朝日連峰に囲まれ、町を二分するように最上川が流れている自然豊かな町である。約15年前にエコミュージアム研究会が設立され、現在まで持続的な活動を展開している。
まちづくりとエコミュージアム
朝日町では、1991年の第三次総合開発基本構想と、自然と人間の共生を原点とした「エコミュージアムの理念」に基づいて、まちづくりに取り組んでいる。2000年の第四次総合発展計画においてもこれを受け継ぎ、「自然と人間が共生し、しっかりした暮らしを築くエコミュージアムのまち」を、まちづくりの理念としている。
 朝日町にとってエコミュージアムは、この町について学びながら、豊かで楽しい生活を送ること。「町は大きな博物館、町民みんなが学芸員」を合言葉に、これまで積み上げてきたその理念によるまちづくりをさらに展開することにより、町に新たな価値を与えるものと考えられている。*4
エコミュージアムコアセンター「創遊館」
2000年6月には朝日町エコミュージアムコアセンター「創遊館」がオープンし、これまで取り組んできた運動をさらに推進するための拠点施設となっている。
 朝日町は建設にあたり、
1989年10月
エコミュージアム研究会設立

1990年 9月
「地球にやさしい町」宣言

1991年 3月
第3次総合開発基本構想・基本計画策定

1991年 3月
りんご温泉本館・農業研究所オープン

1992年 6月
「国際エコミュージアムシンポジウム」開催

1995年 4月
エコミュージアム研究機構設置

1996年 3月
朝日町エコミュージアムデザイン整備計画策定

1999年 8月
エコミュージアムガイドの会設立

1999年12月
朝日町エコミュージアム協会(NPO)発足

2000年 3月
第4次朝日町総合発展計画策定

2000年 6月
エコミュージアムコアセンター「創遊館」オープン

ここの特性を生かした創造性あふれるエコミュージアムコアセンターの施設機能はどうあるべきかといった問いに対する案を県内外から募集。10社のプロポーザルのなかから「自然とまちの双方に向き合う新しい公共施設の在り方」を示した元倉眞琴氏の案が採用された。*5
 創遊館はオープン3カ月で町の人口(約9500人)を超える1万人以上の利用者を数えている。朝日町がこの施設を核として、
さらにエコミュージアムの理念を実現させていくことを期待したい。
まちづくりとエコミュージアム
*1.新井重三『実践エコミュージアム入門』牧野出版(1995)
*2.大原一興『エコミュージアムへの旅』鹿島出版会(1999)
*3.エコミュゼ・ダルザスホームページ
http://www.ecomusee-alsace.com
*4.朝日町ホームページ
http://www.town.asahi.yamagata.jp
*5.「環境共生建築レポートvolume14」参照

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