情報誌「ネルシス」 vol.9 2008

P-20 街なか再生を実現するメインストリートプログラム手法
P-30 Product Message[プロダクト メッセージ/シェルター]

P24-29
目次
ランドスケープアーキテクトの職能を考える 上山良子氏 対談 三谷徹氏
建築家や都市計画の専門家とともに、主に外部環境をデザインするランドスケープアーキテクトという仕事。
一般にはまだまだ知られていない専門分野である。
土地を読み、その場の力を引き出して美しいデザインに表現する女性ランドスケープアーキテクト・上山良子氏は、数々の賞を受賞する優れた作家でありながら、2008年4月からは新潟県・長岡造形大学の学長に就任し、教育にも情熱を傾ける。
そして、ランドスケープデザイン事務所として建築家に絶大な信頼があり、多忙を極めるオンサイト計画設計事務所のパートナーとして活躍し、千葉大学大学院園芸学研究科の准教授でもある三谷徹氏。
いま最もホットなこのお二人に、ランドスケープアーキテクトの職能について、コラボレーションの必要性、教育の問題、歴史とデザインなど、さまざまなテーマで語っていただいた。
ランドスケープの道を選んだ理由
三谷―上山さんに最初にお会いしたのは、確か20年くらい前です。ちょうど上山さんがアメリカから日本に帰っていらしたころだと思います。留学したいけれどどうしようか迷っていた時期で、何か用があって東大にいらしていた上山さんを香山壽夫先生から「三谷君、ランドスケープで有名な人が来てるから、お話を聞いたら?」と紹介されました。上山さんは、カリフォルニア大学バークレーキャンパスが
素晴らしいことなどを話され、サンフランシスコでの生活もいいから、とにかくアメリカにいらっしゃいと。
上山―まあ、そんなこと言ったの?
三谷―あのころ、工学部の建築学科で建築オタクでしたから、ランドスケープのラの字も知らない。恥ずかしながら、ローレンス・ハルプリン(注1)という人がどんな仕事をされているのかもぜんぜん知らなかった。とにかく当時の私は日本を飛び出すことしか考えていなくて、一応建築だったから、建築に志望を出そうと思っていた程度です。
それが上山さんのお話を聞いたら、ランドスケープはすごく夢が多そうだと。あのとき、ぐぐっと心が動いたんです。
上山―じゃあ、結果としてよかったわね。
三谷―建築なのになんでランドスケープ?ってよく聞かれましたが、思えば、巡り合わせですよね。しかしその後、アメリカに行ってからショックを受けました。ランドスケープアーキテクチャーは建築と似たようなものだと思っていたのに大違いで、森の中を歩かされたり、鳥の糞を数えさせられたり、毎週20も30も植物の学名を

暗記させられたり。
上山―でもあのころはいい時期だったから、ハーバードでいい先生に巡り会ったでしょ。
三谷―いろんな人に会いましたよ。ピーター・ウォーカーのほか、ジョージ・ハーグリーブス、チップ・サリバン、マーサ・シュワルツもいました。彼らはまだまだ若手で、これから新しい世界を築いていこうとしている時代でした。
 ところで、上山さんはどうしてこの道に入られたのでしょうか。
上山―若いとき、デザイナーを目指しているころ、
特にスカンジナビアのデザインに非常に興味をもっていました。ところが親はデザインなんかするなと。英語なら学費を出すというので仕方なく上智大学に行ったのです。4年のとき、ドイツのウルム造形大学とアートセンターというのが両核にあって、絶対にそのどちらかへ行こうと、ドイツ語の勉強を始めた。市長を紹介されたりして、いざ行こうとなったら親のスネがなくなってしまったのね。その後もいろいろあるんですけど、スカンジナビア航空に偶然受かってしまった。
どうしようかなと思ったのですが、2カ月間スウェーデンで講習があるので、それだけ受けたらやめようと。実際、空から地表を眺めると、すごくおもしろいじゃないですか。あれをデザインする人ってどういう分野なのかしらと漠然と思っていたんですよ。
 とにかくデザイナーになりたいという気持ちから、その後、着地したのはインテリアでした。でも大地の雄大なデザインっていうのがずっと頭から離れなかったんです。

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 70年代のあるとき、京都の庭園を勉強しにカリフォルニアから来ていたロン・ハーマン(注2)に会う機会がありました。話をしているうちに、ランドスケープアーキテクチャーっていうのはたぶん私の求めていた分野らしいとわかったんですね。そして彼が、アメリカのランドスケープで有名な大学をいろいろ教えてくれました。それから2年後の1976年に、
カリフォルニア大学バークレー校に入りました。大学院とはいえ、そのときの私は三十代前半で、同期はみんな10歳くらい若いわけ。でも体だけは丈夫なので、がんばることができた。最初は本当にこれでやっていけるか、見当もつかなかったの。ちょうどクリストが「ランニング・フェンス」(注3)をやっていたころのことです。
三谷―じゃあ、見に行かれたんですか?
上山―残念ながら、それはあとで知るところになるんだけど。同じ年の同じ9月、車に家財道具を全部積んで一人で、それまで働いていたロスからバークレーに行った、ちょうどそのときだったんですよね。それがスタートでした。
注1:ローレンス・ハルプリン。1916年生まれ。アメリカのランドスケープアーキテクト。コーネル大学で植物学を専攻し、卒業後はウィスコンシン大学大学院園芸学科修士課程を修了。ハプニングダンサーである妻のアンナ・ハルプリンとともに、パブリック空間での利用者との相互関係に着目し、アメニティに配慮した公園や歩行者空間のデザインを行う。また、ワークショップをデザイン教育へ取り入れる試みを実践。
注2:ロン・ハーマン。1941生まれ。アメリカのランドスケープアーキテクト。カリフォルニア大学バークレー校でガレット・エクボやローレンス・ハルプリンに学ぶ。学位取得後、京都大学で日本庭園の歴史を学び、英文版『京都庭園ガイド』をマーク・トライブと共に著わす。彼のデザインアプローチは、日本庭園の設計手法に深い影響を受けているといわれる。
注3:「ランニング・フェンス」は、北カリフォルニアの砂漠や農村を通り太平洋に至る40kmに、ナイロンの布でできたフェンスを横断させた、クリストのランドアート作品で1976年9月に完成。2週間公開された。

批評家の必要性
三谷―ロン・ハーマンは1970、80年代、『プロセス・アーキテクチャー』という雑誌に何度も記事を書いていますね。みんなけっこう読んで知ってるんです。あのころまだ若いマーク・トライブとか。
上山―マーク・トライブとロン・ハーマンは一緒に組んでいましたね。マーク・トライブのほうが批評家で、グラフィックでしたね。
三谷―彼はデザイナーというより批評家か歴史家でしょう。でもデザイナーの視点をもって歴史を見ている重要な人ですね。
上山―日本も批評家がいないとダメね。ランドスケープも批評家を育てないとダメだと思います。
三谷―上山さんに言われて
ひとつだけ守らなかったことがあるんです。アメリカから帰ったら上級公務員試験を受けて役人になって、私たちの活動の場をつくってちょうだいって言われたことです。
上山―そんなこと言ったの?勝手なことを言ってますね(笑)。でも役人もいなくちゃいけないし、批評家もいないとね、この分野は。
教育の問題
三谷―千葉大で教えて4、5年たちますが、卒業生が役所やあちこちに行っているのはいいことだと思うようになりました。それまでは一生懸命デザイナーを育てなきゃと思っていましたが、設計演習を学んだ人が役所に行くので、それはいいなと。長岡造形大学に比べると
本当につたない設計演習ですけど。
上山―長岡はけっこうやっていますよ。先生方ががんばるし。あるとき、急に学生の目がキラキラしだすのね。あれは、われわれの醍醐味ですよ。どんな子でもやっぱり資源なんだってことをつくづく思う。小学校から自然と共生するカリキュラムを組んで、デザインの勉強が入ってくるだけでだいぶ違ってくると思います。そういう意味では、世の中を変えていかないといけないと思いますよね。
三谷―今の小中学校の教育で、特に中学校は園芸に力を入れているところがたくさんあります。園芸は情操教育にいいとか、自然を理解していいとか。しかし園芸に偏ってしまうと、デザイン、空間づくりに結びつかないんですよね。みんな

植物という素材で終わってしまう。それが日本のランドスケープの流れにもそのまま反映されているような気がします。日本の特質かな。
上山―結局、園芸や植物はわかりやすいでしょ。デザインは自分たちの概念の中にないと思ってるのよね。うちの大学は先生をどんどん小学校に出しています。小学生をワークショップに連れ出して、この木はなんだと言いながら、ランドスケープをどうやってつくっていくかを教える。そんなふうにしてやっていったらいいと思う。小学校から6年たったら大学でしょう?
 私は上智大学のコミュニティカレッジでお母さんたちにもランドスケープデザインを教えています。これからのジェネレーションはそうなってくると思いますね。
思い立ったときに気になっていた学問を勉強したいという普通の人たちがランドスケープを学んでくれると、日本の風景もよくなると思うんですけど。
上山良子作品集『LANDSCAPEDESIGN――場を創る』(美術出版)
三谷―上山さんは教育や情報発信に相当時間を割いていらっしゃるんですね。
上山―私ね、マイナーの気持ちがわかるから、やれるんですよ。あとからこの分野に入っているという劣等感があったから、今があると思ってるの。引きこもりの子も、引きこもったってことに意志があるじゃない。自分の判断があった。彼らにすごく重要なことを任せると、それが開花してぜんぜん違う人間になったりします。私自信が劣等感をもっていたから彼らが理解できる。
 三谷さんは最初、どういうふうになられるかと思ったけど、エリートのままシャープに上がって。雑誌『ブルータス』に載っていたとき、それでいいんだって。ランドスケープアーキテクトのかっこいい若者として取り上げられていて、とってもいいことだなと。
三谷―あれ、20年くらい前ですよ(笑)。

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マーク・トライブ著 三谷徹訳『モダンランドスケープアーキテクチュア』(鹿島出版会)
歴史のなかで息づくデザイン
上山―私がアメリカに行っている1978年に、ハルプリンが2度目のワークショップを特別講義としてやりました。ランドスケープから10人、建築から10人、
他分野から10人の合計30人が参加したんですが、ラッキーなことに私もランドスケープの10人に入ることができた。4日間はシーランチの先生の別荘などに分散して泊まり、3日間はサンフランシスコで、周りの世界から完全に囲われた合宿でした。
 そのときに体験したいろいろなスコアがおもしろかった。例えば「『あなたの死に場所』を見つけなさい。ここで死ぬっていうスペースを30分で創りなさい」って言われる。それで最後の1分でプレゼンテーションする。また、「そこで『生きるっていう場所』を見つけなさい」っていうのもあって、その2つがいちばん印象的なんですけどね。
 そのワークショップのときに「場所がもっている資源を
とらえ、その場にふさわしい場所をつくる」というランドスケープの定義を体で感じて、目からうろこが落ちた気がしました。これでやっていけるんじゃないかって思ったんです。この分野は素晴らしいなって。ハルプリンという人はデザイナーだけれども、教育者として立派でしたね。それはもう今でも感謝しているんです。
三谷―私はこの前、『モダンランドスケープアーキテクチュア』(鹿島出版会)というマーク・トライブの本を翻訳したのですが、マークは空間論や作品論を展開しているから、ハルプリンの活動を歴史のなかにどう組み込んでいくか難しいと言ってました。でもいつかやらなきゃ、と。

上山―そうですか、ぜひやってほしいですね。最近、私の作品集を渡しにハルプリンを訪ねたとき、自分はこれから活動を縮小して、本を書くって言っていました。今までの資料は全部とってあるからと。でも90歳。大丈夫かなあ。お元気そうでしたけど。
三谷―ハルプリンについては、もっと日本の若者に読んでもらいたいと思っています。上山さんの職能のあり方やものづくりは、人が中心になっていますよね。これもハルプリンの影響でしょうか。
 千葉大の園芸は自然科学系で、DNAや細胞がどうという話が多い。でも結局、環境をコントロールしたり何か作ったりするのは人だから、
最終的には人だ、というのに気がつくのに2年くらいかかる。
上山―私たちは人がどう感じるか、快適性を場にどう創り込んでいけるかっていうことですものね。そこがランドアートと違うところだと思います。ランドスケープは人を読めなかったら
ジェフリ&スーザン・ジェリコー著『図説 景観の世界――人類による環境形成の軌跡』(彰国社)
絶対ダメだし、場を読めなかったらダメだし、それともうひとつ、時代を読めないとダメじゃない?今の人たちって歴史観が乏しいと思いませんか?
三谷―デザインの分野でも、歴史の教育がどんどん削られていますよね。歴史の研究は文学系に任せておけばいいんじゃないかって思っている人が、けっこう多い。
上山―今の時代がこれまでの歴史のなかに存在するということ、自分たちは連鎖のひとつだってことに気づけば、もうちょっといい社会になっていくと思うんですよね。
三谷―デザインは新しいことをするみたいに思ってる学生が多いんです。デザインは必ずしも科学のように発展するもの

ではない。自分のデザインを自分で気がつかないといけないから、それはむしろ発見なんだと思う。実は100年も200年も昔に、自分と同じことを考え、同じことをやっていた人がいたと気づくと楽しいし、時代から応援されている感じがもてるんです。
上山―コンテクストが違うっていうかね。それがおもしろい。その辺を気づかせていくと、非常にデリケートな子どもたちが出てくるんじゃないの。
三谷―そう思います。今は「現在からちょっと未来にどうするか」ばかり考えている。もっと過去からの大きく長い流れで、自然に前へ進むという、
楽な気持ちが必要かもしれないですね。
上山―『デザイン・オブ・ラウンド』っていう教科書があって、ハーバードでもそうでしょうけど、みんなそれを読むのね。大地のデザインっていうことで有史以来の人の営みと風景の関係の歴史を学ぶ。それがすごいと思う。その感覚を皆さんがもってくれるといいわね。特にランドスケープの学生たちは。
 三谷さんの先輩の山田学さんが翻訳された『図説 景観の世界―人類による環境形成の軌跡』(ジェフリ&スーザン・ジェリコー著 彰国社)は、素晴らしい本よね。
三谷―あれ素晴らしい本ですから、学生に「買え」っていつもすすめるんですが、1万円だと今の学生は買わない。

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薩摩藩上屋敷のあった場所の再開発では上山氏の土地を読むデザイン手法が読み取れる(芝さつまの道)写真:石井雅義

上山―学生の変化はこの10年ですごくあると思うのよ。1期生というのは好奇心と想像力がいっぱいでした。なんでもやりたい、やりたいって。ところが最近の学生は好奇心のない子が多くなってきた。これは由々しきことで、好奇心と想像力がなくなったら人生おもしろくないですよね。人生の空間体験が少ないとボキャブラリーが乏しい。自分のバックグラウンドによって、ものの見方や場の見方が違うけど、どんなに文化やDNAが違っても、有無を言わせず「これは素晴らしい」と思わせる場所がありますよね。そういうものをつくりたいといつも思っているんです。
三谷―実物を見ていない、実際の場所に行っていない若い人がいっぱいいる。驚いたのは、千葉大の庭園環境デザイン学研究室の大学院生の半分以上が、奈良にも飛鳥にも行ったことがないというんです。京都までは新幹線が通っているから行ってるんですけど。
上山―それは関連したプログラムを組んであげないとダメですよね。今の学生は、情報がありすぎるから逆に行かないのかもしれません。私の時代はぜんぜん情報がないから、初めて行く感動から始まる。今の人たちは、ああ、ここはテレビでやってたところだ、から始まるから、かわいそうなのかも。
三谷―上山さんの時代には『地球の歩き方』のようなガイドブックもなかったから、そこに行き着くまでの紆余曲折というか、行くまでの苦労があって感動がある。そのときガッチリ感動しておけば、あとでその使い勝手というか、それが自分のデザインに生かされる価値は大きい。
上山―体験から得たものを伝えていくほうが、聞くほうも聞く耳をもつのよね。
時空を超えて感動する風景
三谷―原風景というと、子供時代の田舎がどうだったという話になりがちですが、

自分の職業としては、アースワークを見て歩いたことが突破口になりました。上山さんが飛行機から大地を見て思ったのと近い。
上山―私の原風景はアメリカのデスバレーなんですよね。イー・フー・トゥアンが『トポフィリア』という本の日本版の序文に書いていたのですが、テントも持たずにデスバレーに着き、そのまま寝た。翌朝起きてみたら、静寂の大地にキラキラと光が当たっている風景だった、と。それは私とまったく同じ体験で、25年前にイー・フー・トゥアンが見ていたんですね。その風景に
鳥肌が立つくらい感動して、これが風景の原点だと思った。彼の書いた本にすごく感動するのは、やっぱり同じところに感動するからかしらね。
三谷―大きな歴史的建造物を見に行ったとき、自分も感動しているけれど、周りの人たちも感動しているのがわかる。何百年にわたって何億人という人を感動させ続けたんだなと思うと、そんなものを一生に一度でいいからつくってみたいと思いますよね。今の評価も大事ですけれど、本当は何百年かあとの人に語りかけることができたら、これほど至極のことはないなと。
求められるコラボレーション能力
上山―自分の強さを徹底的に強くするのはアメリカのやり方です。いわゆる全部できるっていう人よりは、デザインに特化してる、植物に詳しい、そういう人たちのほうが一流事務所では喜ばれますよね。それでコラボレーションする。どうやってコラボレーションしていくかってことを学生のうちから教えたほうがいいわね。

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建築家・槇文彦氏とコラボレーションした、三谷徹氏のランドスケープデザイン作品(島根県立古代出雲歴史博物館)写真:編集部

三谷―今、そういうチームでやることが多くなっていますからね。大学と地域もかなり密接になっています。ただ、建築みたいに、歴史、施工、構造、設備、計画・意匠と五本足くらいでしっかり立っているような感じにならない。だからコラボレーションといっても、ランドスケープの学生はなかなか難しいなと思います。
上山―だから、総合大学のなかにランドスケープが入るといいんですよね。そのなかでいろんなものを教えていければ理想でしょう、カリキュラムの組み方としては。
三谷―千葉大の緑地環境学科の先生たちがお互いにどんなことをやっているか、やっとわかってきた。学生が、植物もやるし、生態学もやるし、土木もやるし、デザインや計画もやる。けれどもまだまだ研究室ごとの仕切りが厚くて、研究室に入るとバラバラのことやっているという感覚があります。
上山―大きな大学でできることってあると思うので、がんばってほしいわね。
これからの10年に何をするか
三谷―次の10年に
何をするかというのは、実はあまり見えてないんです。つくるのに精いっぱいというか。
上山―つくるのが楽しくてしょうがないとか?
三谷―いま楽しいのは「庭」の再解釈です。庭園デザインの研究室にいるので、日本の庭園を見る機会が多くなりました。毎年、学生を引率して京都に1週間くらい行って庭掃除したり、庭を管理している人に話を聞いたり。庭はけっこうおもしろいなと思っています。
 われわれは、自然環境、生態学も取り入れたランドスケープという教育を受けていて、

近代以降のいわゆる庭師の仕事にあまり接触していません。日本に『庭』という雑誌がありますが、その世界もランドスケープとの交流がそんなにない。有名な日本庭園のように歴史的に価値があるのも大事ですが、農家の庭とか、人がさりげなくつくって使っている庭にも、すごく興味があります。これからはそういう研究もしてみたいと思っています。
上山―私はもう人生の最終章なんですよ。最終章にたまたま学長という職務を任され、教育に戻る形になったので、
この最終章は「教育」って考えてるのね。「地域」と「エコロジー」と「生命」の3つを重ねて、それをうちの大学、私自身も含めて、デザインで解きたいと思ってるの。そこで何が最終的に生まれていくかというところに興味があります。
 特に私のいる越後という地域は、いいものがいっぱいあるのに、ちっとも世の中に出ていかないの。去年の建築のコンペで優秀と選ばれた7人のうち3人が長岡造形大学の学生でした。最優秀賞も同じ山下研究室の大学院の学生なのに、
誰も知らない。地域に眠る原石を磨いて世界に出していきたいっていうのが私の夢ですね。生命っていうのは子どもととらえてもらっていいと思うんです。世界に向けて越後っていう地域から、最先端を走れる人材を飛び立たせていきたいっていうのが私の課題かな。

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