情報誌「ネルシス」 vol.10 2009

P-14 日本独自の演出で世界に通用するリゾートを目指す
P-22 自然や歴史的景観の保全活動が観光資源を生み出す

P18-21
目次
江戸時代の宿場風景を守り伝える

標高650mの山あいにある大内宿。重要伝統的建造物群保存地区に選定された1981年当時は、電柱31本、テレビ共同受信柱20本のほかに地域の有線放送柱が林立している状況だった。事業費の関係で地中化はかなわなかったが、新設道路へ移設することになり、1990年に移設工事が終了。今日目にする美しい宿場町の景観がよみがえったのである。現在、44軒のうち33軒がかやぶき屋根に改修。大内保存会が中心となって改修を進めている
かやぶき屋根を再生し、よみがえった宿場町で100万人を集める
会津若松から車で南へ1時間、国道118号線から
6kmほど西へ入ったところに、江戸時代の宿場町の姿を残す「大内宿」がある。
郷愁あふれるかやぶき屋根が並ぶ村のたたずまいが人気となり、年間100万人
の来訪者を集める観光スポットとなっている。そこには、懐かしい
日本の風景を守り伝えようとする地元のたゆまぬ努力があった。
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大内宿の町並みの特徴は寄棟造りの建物が道路と直角に整然と並んでいることで、この地方の宿場形態の典型的なものとされる
軒先には土産物が並び、観光客を楽しませてくれる
大内宿の景観保全への
取り組み
大内宿は、江戸時代に会津若松城下から江戸へ通じる下野街道沿いにあった第三の宿駅で、荷役・人馬の継ぎ替えや宿場を経営しながら農業を営む半宿半農の集落だった。かやぶき屋根や地割などに江戸時代の街道宿場の伝統的形態が残っているとして、1981年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定される。これをきっかけに、村では住民憲章を
つくるとともに「大内宿保存会」を設立。宿場の保存・復元の活動を進めている。
 保存会では当初、屋根のふき替えのために近隣から「かや」を買い集めることが主な役割だったが、最近では、村人のかやぶき屋根保存の意識を高めようと、村じゅう総出で、かや場の手入れや、かや刈り作業を行っているという。さらに、屋根ふき替え作業をやりやすくするため、足場や細木、道具の備え付け、貸し出しなども
行っている。
 交流人口が増え、村全体で経済活動できるようになると、当初、保存に消極的だった人たちも保存に理解を示しはじめた。観光にとって景観保存が最も重要であると認識し、10項目からなる村独自の禁止事項を策定、現状変更に際しても村仕様の基準を尊守することとした。現在までに9軒が、トタンを剥いでかやぶきに復元するなど、自発的に景観整備に努めるようになったという。

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村じゅう総出で屋根のふき替え作業を行う
大内宿配置マップ

 2009年春まで保存会の会長を務めた吉村徳男さんは村の変化を次のように語った。「一時希薄になったコミュニティがまた強くなりました。先人たちがそうだったように、次世代が村に残り村の文化を守る。この地で跡取り息子に看取られて人生の終焉を迎えることができるようになったと思います」
 大内宿には48世帯約180人の住民がおり、大内区、保存会、観光協会、青年会、婦人会、老人会、念仏講、子ども会、消防団、婦人消防隊、火消し組、そば生産組合、
結の会の13団体が組織され、それぞれが村における役割を分担している。
 例えば小学生は夏休みになると、村中を「火の用心」と拍子木を叩いて夜回りをし、火災から村を守る啓発活動を行っている。また、そば生産組合は積極的に遊休農地にそばを植えて、村の農的景観を守っている。廃校になった校舎を活用して屋根ふき練習場をつくり、毎週日曜の夜は、青年たちがここに集まって屋根ふきの技術習得に励んでいる。
 各団体の活動が
歴史景観を守るだけでなく、村のコミュニティを強化しているのだ。
村の魅力
宿場は、南北約500m、東西約200mの範囲。保存会の努力もあり、44軒の集落で、かやぶき屋根の家屋が33軒も立ち並ぶ風景は、まさにタイムスリップしたかのようだ。旧街道の両脇には用水路が流れ、懐かしいラムネが冷やされている。敷地95坪、建坪40坪の堂々とした家屋の軒先では、

郷土料理のそばや栃餅の店が出され、地場の陶器や土産物が並び、一軒一軒のぞいているうちに時間のたつのを忘れてしまう。
 大内宿の魅力について、吉村さんは次のように話してくれた。「昭和30年ごろ日本各地にあったかやぶき屋根の風景は郷愁そのもの。ここでは風景だけでなく、古くから伝わる衣食住の文化や、営々と続けてきた年中行事に触れることができます。毎月、新潟からそばと餅を食べにわが家へいらっしゃる親子は、もう10年も通ってこられる。大内に暮らす人々が客人を心からもてなすからだと
思っています」。毎年2月には雪まつりがあり、かやぶき屋根に積もる雪景色もまた格別とのこと。
地域との連携を図る
大内宿の周辺には湯野上温泉郷や、会津本郷焼の工房が集まる美里町、そば打ち体験ができる「食の館」など多くの観光資源がある。現在、「大内宿結の会」を中心として地域連携のネットワークづくりが進行。大内宿内でも本郷焼きの窯元と交流し、会津土産として販売協力を行っているほか、地元・下郷町の農家と連携して
地場産品や農産物も販売している。また、下野街道を中心とした他集落と『高倉宮以仁王の道ネットワーク』などを立ち上げ、地域おこしの活動などに協力し合っている。
 1986年には野岩鉄道会津鬼怒川線が、87年にはこれと連結する会津鉄道会津線が開業して、観光地としてのアクセスが向上したこともあり、平成に入ると大内宿が全国的に有名になる。現在、年間100万人の観光客を迎えているが、秋の紅葉など観光シーズンに道路渋滞が発生し、近隣地域まで影響を与えるので、今後はさらなる道路事情の改善が急がれる。

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