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そのときの東京都の公害研究所所長は有名な法律家の戒能通孝先生で、『法廷技術』という教科書を書くほどの大先生です。戒能先生が東京都を代表して裁判に受けてたつという強い姿勢をみせたら相手側は誰も出てこなかった。で、経団連も裁判をあきらめたことによって、わずかに前進していくわけです。
私らもそのころ栃木県で水質審議会の専門部会を65年からやっていたものですから、本当に法律のゆるい規制には苦労していたのです。栃木県は足尾鉱毒事件などという深刻な公害をもっていますからね。そこで、経済企画庁と話をして、足尾の規制は渡良瀬川の上流だけでやってもらい、中流、下流は栃木県の条例でもっときつい基準を決めることにしました。幸いに水質保全法というのは地域指定だったので、その地域指定をできるだけ狭くしてもらうことで水質を守ろうとしました。ともかく栃木県は水源県ですから全国一律の基準なんかではとても水は守れない。だから独自のものを決めるということを苦労してやったわけです。これが60年代後半です。 |
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水質汚濁防止法 |
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70年になって公害国会が開かれます。東京都がそれまで主張していた地方条例が法律に優先するという主張が通る。これによりそれまでの水質保全法や工場排水等規制法が廃止され、新しく水質汚濁防止法が制定された。その中に「国民の生命、財産に関わる問題については地方条例が地域の条件に応じて法律よりも厳しい基準を決める」という一項が加わりました。以前の二法は手続法だったのに対して、水質汚濁防止法は直罰規定であり、基準を決めてそれを超えた場合は処罰される。このことで日本中の工場がいっせいに排水処理をやり出した。各府県も東京都のマネをして法律を上回る基準の条例を決めたためです。
それまでの水質二法では原則として排水処理はやらなくてよかったんですね。地域を指定し、業種を指定し、その中の特別の機械を指定するという三重に限定されたものについてだけ排水処理をすればよいというザル法だったのです。 |
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見直されるダム |
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日本中の企業がおおあわてで排水処理をやってみたら、いままでめちゃくちゃに水を無駄使いしていたことがわかった。全部処理したら懐がもたない。そこで工場の中で水の汚れ具合でランクをつけて、あまり汚れていない水については循環利用したりする工夫が始まりました。
74年をピークに工場排水のための水の需要が減り始め、現在でも減り続け、今では74年の3分の2にまでなっています。それで長良川の河口堰やあちこちのダムが要らなくなってしまった。国土庁は何度か需要予測をやっていますが、予想需要のグラフではいつも右肩上がりで、傾斜がゆるくなることはあってもマイナスになることはない。計画ではやはり川辺川にはダムがいるし、長良川の河口堰は四日市のために必要だというのですが、四日市のほうがいらないと言い出した。そういうことが全国的に起こっています。 |
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