 |
最初に構想を立ち上げたのが94年であるから、オープンには実に7年の歳月を要したこととなる。
構想そのものこそ偉大であったにせよ、それが、総事業費8,600万ポンド(約160億円)の一大プロジェクトへと成長し、実際のオープンに辿り着くまでが多難の連続であったというのは想像に難くない。最大の難関はやはり資金集めで、最終的に、宝くじを基金とするミレニアム・コミッションをはじめ地方政府などからの大きな援助を受け実現化にこぎ着けた。
「ヘレガンの失われた庭」 しかも、当初の構想を縮小も、矮小化もすることなく、むしろ遙かに上回る出来ばえとなったことは、そこに集まる人々を見ればわかる。単なるアカデミックな植物園でも、軽薄なテーマパークでも、お仕着せの |
 |
教育的博物館でも、ユートピア的コロニーでも、いずれでもないジャンルの不確定な真に新しいタイプの魅力的な場所が生まれたのである。
この新しい場の基層を成すのは、「人間と植物の偉大なる関係」であるから、珍しい世界中の植物を陳列する植物園とはまったく違い、人の生活に密着した植物たちが主役となり、それはどちらかといえば見慣れた、またはとても聞き慣れた名前の植物で占められる。コーヒー、茶、ゴム、米、パイナップル、ペッパー、麦、綿、コルク、ブドウ、イモなどなど、どれも当たり前に日常的に接している植物である、というよりは食物であり姿を変えた日用品である。これを改めて植物として見せられると、確かに植物と人間の緊密なる関係性と相互のコミュニケーションのような視界が開けてくる。
さらに、この日常性の隙間を埋めるものが「アート」である。「アート」は、自然科学や社会文化、教育的要素を緩やかにつなぐ触媒または息抜きのように、時にさりげなく、時にインパクトを持って随所に挿入されている。熱帯バイオームの
|
 |
一角に置かれた民家は、マレーシアの至る所に一般的にある高床式にトタン板貼りのやや粗末なもので、その横に置かれた日本製のバイクは、その日常性をもっともストレートに表現している。それと同時に、イギリスから地球の反対にあるこの地の野菜や、フルーツ、花などがいかに共通のものであるか喚起を促しているようでもある。そしてこれらのアート作品は、過度に洗練されていない分、美術館に陳列されるよりも、日常的なシーンを生き生きと彩っている。
もちろん、こうした展示内容は今後も運営のプロセスの中で随時加えられていく。例えば、日本人ランドスケープデザイナーと現地のアーティストが「米」をモチーフとしたセクションにおいて、数カ月をかけて「しめ縄」をつくるというイベントが行われた。人類の生活に最も欠かせない作物のひとつである「米」が、より大きなスケールでのアートワークを誘発しているというわけである。
|
 |