情報誌「ネルシス」 vol.3 2002

P-24[CASESTUDY1]粘土採掘場の跡地が美しい植物園に生まれ変わった 「エデン・プロジェクト」--イギリス 「土の再生」と「土地の蘇生」…柳原博史
P-34[INTERVIEW]映画『アレクセイと泉』をめぐって――本橋成一監督に聞く
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 ・・・・・・・・・スイス
取材・文…滝川 薫 (『スイス・日本エネルギー・エコロジー交流』誌)
写真…フリッツ・ワスマン
スイス、チューリッヒ市では100年の歴史を持つ
オエリコン旧工業用地を、住宅やオフィスへと再整備する
長期計画が進行中だ。汚染された土壌を修復してつくられた
5haの緑地が、この土地に新たな息吹を吹きこんだ。
パーゴラの2階の回廊から内部を見下げ。一段高くなった中央部は公園内のくつろぎの空間
人口36万人、スイス最大の都市であるチューリヒ市は、19世紀より産業都市として発展してきた。しかし生産現場が省スペース化し、国外化が進む今日、市内には空洞化した工業用地がいくつか見られる。それを住宅やオフィス用地として、土地計画上の再整備をしていこうという試みのひとつが、オエリコン旧工業用地の再生プロジェクトだ。
 オエリコン旧工業用地はチューリッヒの中心街から車で5分、線路を挟んでオフィスや店舗の並ぶ市街地に接し、公共交通の接続が抜群の好立地にある。蒸気機関車の生産に始まる100年以上の歴史のなかで、機械工場や人工樹脂工場、バッテリー工場などを抱えてきた。
 このプロジェクトは、町の中に残る旧工業用地の再整備としてはスイスでは最大規模で、61ha(61万m2)の敷地に2015年までに1万2000人分の職場と5000人分の住居を段階的に実現していくというものだ。計画は敷地の大部分を所有する世界的な機械技術のコンツェルンABB社とチューリッヒ市の間で1988年から9年間をかけて準備され、
98年に州から特別建設規定の許可を受けて、本格的な建設が始まった。今日までに既に6000人分の職場が実現し、1000人が入居している。
 この用地の大きな問題は土壌が複合的に汚染されていることであった。その原因は19世紀から1965年まで続いた産業廃棄物の敷地内の埋め立てと、工場からの有害物質の地下浸透にある。土地所有者のABB社は、土壌改良が必要なこの不毛の地域を建設用地として再生させたいと考えた。そして建設プロジェクトを魅力的なものとするためにABB社がチューリッヒ市に提案したのは、敷地の中の5haを緑地として市に無償で譲渡する、そのかわりにこの地域に限り建ぺい率を上げ、
高密度に建てさせてもらうというものだった。
 緑地にはチューリッヒ市により、個性的な4つの公園が新設され、それらが職、住、余暇、移動といった用途の異なる空間を結びつける回廊の機能を担ってゆく。また計画の中で緑地は、企業占有地から市民のための土地への変遷のシンボルとして、新しい地域のアイデンティティとして、そして建設活動とエコロジーのバランスを取る要素として、高い位置付けを与えられている。中でも土壌の修復を経て2002年7月に竣工したばかりのMFOパークは、巨大なパーゴラが個性的な景観をつくり出している。
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チューリッヒ市は、ABB社が汚染土壌の改修を行うことを、緑地を受け取る条件とした。そしてMFOパーク用地では、深さ2.5mの土壌がすべて掘り出され、新土壌と交換される「掘削除去」が実施された。
 このプロジェクトの土壌汚染調査と修復対策を手がける水質・地質コンサルタントのユング・シュタウブレ氏によると、
MFOパーク用地の土壌汚染は、スイスの「要修復土壌汚染に関する政令」(1998)による、3つの土壌汚染のカテゴリーが複雑に混在していたという。すなわち(1)長期的に環境への危険性がなく監視が不必要な汚染地(2)監視の必要な汚染地(3)環境への危険性がある修復が必要な汚染地、の3つである。
 州から修復の必要性が認められると、詳細な調査が実施された。用地の各所をボーリングし、どこに何が含有されているのかが特定された。この結果から修復の急務性や、修復技術のバリエーションやコストなどが調査され、その報告書を裏付けとして、
ABB社ではなく、土地の譲渡先のチューリッヒ市が修復手段を選択した。このときランドスケープアーキテクトの意見が聞き取られ、高コストだが、植物の成長にとっても有利で、市にとっても長期的に環境リスクの少ない土壌の掘削除去が選ばれたのだという。
 土壌の掘削除去作業では、シュタウブレ氏らが汚染現場につき、作業員が掘り出したものをその場で、外見や色、臭いから汚染内容を判断してコンテナに分別していく。その後コンテナごとにラボで成分を分析され、各内容に応じた汚染物質および土壌の処理方法が決定される。この場合は、オフサイトで機械洗浄を行ったもの、
銅や鉛の含有率が高く金属を再錬成したもの、コンクリート工場で燃やしたものなどがある。
 これらの修復コストを担ったのはABB社で、その額は公表されていない。MFOパーク以外の敷地も、土地の用途に応じた汚染土壌の修復対策が実施されている。工業用地やオフィス用地では「原位置封じ込め」を選んだ所もあるが、住宅地ではほぼすべて「掘削除去」(土壌の入れ替え、汚染土壌の浄化や処理)が行われている。原位置封じ込めはコストが低く、地下水汚染を回避できるが、長期的な監視が必要となり、持続可能の観点からは最良の手段とはいえないという。
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チューリッヒ市緑化部のハイン・ファン・デア・プラース氏(上左)とランドスケープアーキテクトのマルクス・フィアーツ氏
汚染土壌の改修にかかるコストは100万スイスフラン(約8000万円)以下が圧倒的に多い
土壌の改修を手がけたイェックリ社のユング・シュタウブレ氏
MFOパーク関連DATA
●設計:Raderschall Landschaftsarchitekten AG, Burkhardt & Patner AG●施主:チューリッヒ市●竣工:2007年7月●緑化用ワイヤー:全長30Km、支柱構造との間隔30cm、構造用ワイヤー直径12mm、それ以外のワイヤー直径5mm。格子の間隔は下から50cm四方、上部は1〜2m×0.5m●新土壌:上から鉱物性土壌55cm、軽石50cm、その下赤土と砂礫の混合●コンテナ:人工樹脂、長さ4×幅0.9×高さ0.6m●地面の素材:マール、再生ガラス砂利(中央部)
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MFOパークは、オエリコン駅のすぐ側の旧MFO工場(マシーン・ファブリック・オエリコン、後のABB社)の跡地に建てられた広さ0.85haの都市公園で、周囲をオフィスや住宅、旧工場建築に取り囲まれている。公園の大部分を占めるのは蔓植物に覆われた巨大なパーゴラで、その全長は117m、幅35m、高さ17mと、ガーデンアーキテクチャーとしては前例のない規模である。旧工場ホールのボリュームを緑のホールとして受け継いだのだという。MFOパークに求められたのは、住民や働く人々の日常生活における使用のほかに、イベントや祭りに使用できる空間で、広々としたパーゴラの下には1000人収容の舞台装置が設置できるという。
スイスにおける土壌汚染と対策
スイスでは多くの産業国と異なり、土壌汚染の問題はあまり注目されていなかった。その背景には、小国スイスの特殊な事情がある。まず鉱業および重工業、広大なコンビナートが存在しないこと、戦争汚染がないこと、有機化学的なゴミ(家庭ゴミ)を埋め立てずに燃焼してきたことなどだ。  だが小国ゆえに小さな汚染も数が増えれば重大な問題を招きうる。特に平野部では、人口密度の高さ、地下水源と汚染地の近さなどがあげられる。そしてドイツやオランダにならい、1998年の要修復土壌汚染地政令 では、これまで州単位で定められていた土壌汚染地への対処手段が、国レベルで統一された。  現在スイスでは土壌汚染地が4〜5万箇所あり、その内の約3,000件が要修復と判定されている。主な汚染地は産業廃棄物や建築廃材の旧ゴミ埋立地、工業地域、事故現場である。連邦環境・森林・景観庁の目標は、20〜25年の間にこれらの負の遺産を修復することだ。そして対策は2〜3世代の間にコスト的負担をかけずに、持続的に効力を発揮するものでなければならない。
 さらに巨大なパーゴラは入れ子のような二重の構造になっており、内側と外側の両面から緑化されている。支柱構造となるのは亜鉛メッキした特殊鋼でできた骨組みで、その上にイノックス鉄の緑化専用ワイヤー・システムが張り巡らされ、壁面や天井面を構成する。二重のパーゴラの間は幅4mの通路となっており、そこから2・3階の所々に設けられたホール内部に張り出す木板張りのテラスへと上ることができる。パーゴラの下は緑の壁に囲まれて、屋外なのに室内にいるような居心地の良い空間が作り出されている。
 植栽されるのは地上部のプラントベッドと4階部に設置されたコンテナだ。地上部の蔓植物が主に壁面を覆い、コンテナの蔓植物が天井部分を覆う。
植栽計画はスイスでも一流の植栽設計者フリッツ・ワスマン氏が手がけ、均一にホールが緑に覆われるように、成長の早さや強さ(高さ)の異なる蔓植物が混合植栽された。また四季折々の魅力を演出するため、花や実の色彩の組み合わせ、紅葉や芳香、建物による日当たりや風といった微気候が配慮されている。蔓植物の数は1300本、100品種という。またこの敷地から下水に流せる水量は規定されているので、雨水管理計画も重要だった。天井部分に組みこまれた雨どいから集められた雨水は、コンテナとプラントベッドを潤した後地面に浸透し、地下に巡らされた浸透管に収集されたものが貯水槽に入る。そこから必要に応じて自動潅水が行われる。また豪雨時には 貯水槽に保水することで、下水の負荷ピークを和らげることができる。
 MFOパークの総建設費870万フラン約6億9600万円)で、パーゴラは総計画の5分3の第1期工事にあたる。第2期工事は2006年以降、向かいの旧工場が取り壊された跡地に、蔓植物を這わせた25本の柱と生垣を配した広場が建設される予定である。緑の建築の成長が楽しみである。

オエリコン旧工業用地の再整備にあたり、チューリッヒ市とABB社の間では、質の高い地域づくりのために、エコロジーと経済性の両立がひとつの基本方針として取り決められた。
具体的には自動車交通の低減や自転車道の設置、平屋根緑化の義務付け、水辺の再自然化などである。また建物の新築にあたっては、工場のように低層建築を制限するといった、旧工業用地らしい地域色を大切にすることをあげているのが興味深い。このように再開発とはいってもすべてが可能なのではなく「実用重視で人間サイズの調和的かつ変化に富んだ空間」を目指している。
 チューリッヒ市では同プロジェクトと平行して2つの旧工業地域の再整備計画にも意欲的に取り組んでいる。スイスという小国の限られた建設用地の中で、旧工業用地の持つ経済的なポテンシャルは大きい。また一度汚した土地だからこそ大切に使い継ぐという人々の姿勢も見られる。
 経済の町であると同時に、住人の町として魅力的なまちづくりを進めるチューリッヒ市、その旧工業用地のこれからの発展に注目したい。
オエリコンの土壌汚染の歴史
この地域の工業は1864年、今日の敷地の片隅に建てられた鍛工場にはじまる。その後ローラー破砕機の生産会社を経て、1876年MFO(マシーン・ファブリック・オエリコン)が成立。当初は蒸気機関車を生産していた。MFOは買収、合併を経て今日の世界的な機械工業のABBコンツェルンとなった。
 敷地には機械工場のほかに、バッテリー工場、人口樹脂工場、武器生産工場などが建てられた。工場も続々と周囲へと拡大していった。そもそもこの地域は広大な湿地帯であり、泥炭を採掘しては工場内でのガスの生産に用いられていた。機械工場とはいっても、当時は鋳造工程からすべての部品が工場内で生産されていたため、大量の廃棄物が生まれた。燃え滓や鋳造砂、建築廃材といった廃棄物は泥炭採掘跡の穴に埋め立てられ、その上に新工場が増築される、といったサイクルが1965年まで続く。
1906年の写真にも建物の裏にゴミ捨て穴が見られる。これが第1の汚染で、重金属や炭化水素を中心とした幅広い有害物質を含む。そして第2の汚染は、埋立地の上での生産活動による、機械へのさし油や、油除去の塩素系溶剤が地面に浸透していったものだ。
 このようにオエリコン旧工業用地の汚染の内容は部分部分でカオス的に入り混じっている。
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