情報誌「ネルシス」 vol.3 2002

P-30[CASESTUDY2]旧工業地域を再整備して緑豊かな街をつくる 「オエリコン地区再生プロジェクト」--スイス 大規模な土壌修復で生き返った土地…滝川薫
P-36[シリーズ]自然浴環境 都市の記憶という自然を取り戻す「土地の記憶」と「コスモフィリア」…上山良子
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2002年ベルリン国際映画祭でベルリナー新聞賞・国際シネクラブ賞を受賞した『アレクセイと泉』は、前作『ナージャの村』に続く、チェルノブイリ原発事故で汚染された小さな村を舞台にしたドキュメンタリー映画だ。1996年からこの地に通い、村人の生活を撮りつづけた本橋成一監督に、映画にこめた思いを語ってもらう。
撮影中の本橋監督(右)とカメラの一之瀬正史氏(左)

チェルノブイリの原発事故は今から16年前の1986年4月26日夕方に起こりました。空がオレンジ色に染まり、埃は舞い上がって、それから小雨が降ったと映画の中で主人公のアレクセイは語っています。私がベラルーシ共和国に初めて行ったのは1991年でした。汚染された村に残って生活している村人たちの姿を見て、その風景の汚染地区とは思えない美しさと、彼らのたくましさに魅せられました。これは「いのちの話」なんだろうなと感じたのです。そこから「核とはなにか」を描けたらと思いました。刺激的な映像でストレートに訴える表現方法もがありますが、僕自身は映像というのは、観てくれる人のイマジネーションの世界をいかに広げるかだと思っているので、いのちの話にしよう、そこから核を反対しようと。

 ブジシチェ村も何百年と続いている人間の営みを感じさせる場所でした。僕らがなくしてしまった大切なものがそこにあるという懐かしさ。以前こんなことがありました。前作の『ナージャの村』を東京で上映した後にアンケートを書いてもらったのですが、小学校5年生の女の子が「とても懐かしい風景でした」と書いてあった。不思議でしょう。きっと彼女のDNAの中に記憶されている何かがあるんでしょうね。赤ん坊が水を触ると喜ぶように、とても自然なものとして。
僕らはそういうものを信じていいのではないか、それを手がかりに、何かを伝えていくことができるんじゃないかと思ったのです。

アレクセイと初めて会ったのは1996年の2月です。以来、行く度に会っていろんな話を聞き、書きとめてきました。その話を頭におきながら撮影を始めたのです。
 映画ではアレクセイのナレーションで村の生活が語られています。彼の話し方も言葉もとても優しい。彼と話していくうちに、僕はこのアレクセイの語りを映画のなかでみんなに聞かせたいと思いました。僕は撮影中、彼にどうして村を出ないのかと繰り返し訊ねました。彼は「両親の力になりたかった」と話し、「泉の水が僕の体を流れているんだ。運命からも自分からも逃れられない。だから僕はここに残った」という言葉をくれました。彼が語ることによって次の世代につながっていくものがあると思いました。

人々が村に残った理由は、やっぱり自分の故郷だからだと思います。安全じゃないからそこを離れるというものではない。草一本、木一本に思い出がある。それが生き物としての人間の棲家というものだと思います。
 若いアレクセイが「生きることは食べることだ」と語る。
ともかくこの村では1年間食べるために春から秋にかけて一生懸命に働いているのです。村人たちの手はものすごく立派で、手は道具なのだと気付かせてくれました。おばあさんと握手する自分の手がフニャフニャに思えて恥ずかしかった。そしてそこには「生きるための技術」であふれていました。

僕は1940年生まれですから、敗戦のときは5歳でした。僕が育った時代は高度成長真っ只中で、ものがどんどん増えていった時代です。僕も物質文化にものすごくあこがれました。それはまさにアメリカの物質文化で、父親のか細い体つきに比べてGIの逞しい肉体は豊かさの象徴でした。
 わが家にもテレビが入ってきた時にはすごくうれしかったですね。だけど、だんだんその豊かさに疑問が出てきた。
 僕が最初に写真を取り出したのが筑豊の炭鉱だった。ちょうど石油が石炭にとって代わる時代でした。それがたったの35年で今度はあっという間に原子力エネルギーに変わろうとしている。
 僕は基本的に核は人間がコントロールできるものではないと考えています。人間は機械ではないのだから事故があってもおかしくない。ミスがあってあたりまえの人間に、核をまかせるなんておかしいですよ。
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【映画解説】1986年、旧ソビエト連邦ウクライナ共和国のチェルノブイリ原子力発電所の4号炉で爆発事故が発生。当時、ちょうど風下にあったウクライナの北隣に位置するベラルーシ共和国は、最も放射能汚染の被害を受けた地域となる。この映画の舞台となるブジシチェ村も汚染された村の一つ。政府の移住勧告によって、住んでいた600人の村人のほとんどがここを去ったが、55人の老人と青年アレクセイだけが残った。広場や学校、ジャガイモ畑も汚染され、森からは異常に高い放射能が検出される。しかし不思議なことに村の中心に湧き出る泉からは放射能が検出されない。この奇跡のような泉をよりどころに、村人たちは生活を続ける。
【ブジシチェ村 放射能汚染調査(単位:キュリー/km2)】
パーティの広場…………6 ジャガイモ畑……10〜12 学校跡地……………20
薪をとった森……60〜150 泉の水……検出されず
(2001.05.19 チェチェルスク保健局測定)
 黒澤明監督が、メキシコの作家ガルシア・マルケスとある雑誌で対談したことがありました。マルケスが対談の中で、長崎、広島の原爆投下について「あれは使い方を誤った人間が悪かった」と語ったことに対して黒澤が「冗談じゃない。すべてのものをコントロールできるなどと考えるのは人間の傲慢だ!」と怒っている。それを読んで僕はすっかり黒澤のことが好きになったんです。黒澤はビキニ環礁の水爆実験で第五福竜丸が放射能を浴びた事件をヒントに映画化した『生きものの記録』と、長崎の原爆をテーマにした『八月のラプソディー』と2本撮っています。彼の中にずっとそういうテーマがあったんですね。

20世紀は豊かになろうとしていろんなものを創り出しだけど、それが結果的にはみんな自分たちの付けに回ってしまった。
 じゃあ21世紀にはどうすればいいのか。最近読んだ『スローイズビューティフル』(辻信一著)という本に同感して、僕はこれからは「マイナス計算」でいこうと思っている。いままで家に10個の電球をつけていたら1個減らしていくとか、そういうことをちょこちょこやっていくことがまずは始まりなんだろうと。「核の平和利用はいい」みたいなことを言うのだけはやめようと思っています。後片づけをしていく方向に知恵とお金を使っていくべきだと思うのです。
 技術も儲かる技術ではなく、本当に必要な技術はなにかを考えぬく。原発は儲かるかもしれないが、それに替わるもっと安全な技術がたくさんあるはずです。もうそろそろ無駄遣いはやめましょうよ。そんなメッセージを21世紀を担う子どもたちに残したいんです。
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