情報誌「ネルシス」 vol.5 2004

P-10[特集]まちに息づくアート 21世紀のランドスケープ・エコロジー 街とアートの半世紀…竹田直樹 1 彫刻設置事業のパラダイ
P-14[インタビュー]アートで都市空間を彩る…南條史生
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continued from 街とアートの半世紀
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そして今日、ここまでに述べてきたパラダイムとは異質な新たなパラダイムが始まっている。60年代に宇部市や神戸市の彫刻設置事業に参加したアーティストは、その多くが当時三十代だった。彼らはその後、日本全国の設置事業のなかで活躍することになる。そして90年代に入り、彼らが60歳を迎え引退を考え始めたころ、新たなアーティストの集団が現れた。彼らの多くは三十代で、国内より海外での知名度が高く、招聘を受けつつ世界を渡り歩いて活動を継続し、「トーキョー・アート」と呼ばれる現代美術の最新のカテゴリーを形成する。誰も予想していなかった世代交代が一気に始まった。ここでは、この新世代による系譜のことを「アートプロジェクトのパラダイム」と呼ぶことにする。
アートプロジェクトの始まり
アートプロジェクトは、一過性の一種のイベントであり、市街地、ニュータウン、農村集落などさまざまな場所を舞台とし、終了すれば基本的にその物理的な痕跡は残らない。
 こうしたアートプロジェクトは、90年代に突如、始まったわけではない。50年代半ばから70年代前半にかけて、関西を舞台に活動した具体美術協会の試みは、あまりに早いそのプロトタイプといえるものであるし、80年代前半には浜松市の砂丘を舞台に「浜松野外美術展」、80年代後半から90年代前半にかけては、岡山県牛窓町の農村で「牛窓国際芸術祭」などが開催されている。また、川俣正(かわまたただし:1953−)は、80年代初頭から独自にアートプロジェクトに着手していたのであった。
 ただし、今日のアートプロジェクトに直結するのは、90年より2年ごとに福岡市で開催されている「ミュージアム・シティ・天神」が最初だと考えてよい。このプロジェクトでは、駅構内や百貨店の内部
写真25●1993年に墨田区で開催された「両国−JR両国駅における試み」のひとこま。JR両国駅の使われていない廃虚のような駅舎内部が会場に。作品は加藤力
など、都市のいたるところが作品の展示スペースとなった。それらの多くは彫刻設置事業の対象にはなり得ない場所であったし、作品は恒久性を意識せずに済むため、これまでになく多様な表現が可能となった。その初期に、蔡國強(ツァイ・グォチャン:1957−)、柳幸典(やなぎゆきのり:1959−)、折元立身(おりもとたつみ・1946−)、松蔭浩之(まつかげひろゆき:1965−)、小沢剛(おざわつよし:1965−)、中村政人(なかむらまさと:1963−)など今日のアートシーンを考えるうえで重要なアーティストの参加があったことも見逃せない。 このプロジェクトは東京へ波及し、93年には東京都墨田区で「両国−JR両国駅における
試み」が開催される(写真25)。さらに同年、東京都中央区で「ザ・ギンブラート」、94年には東京都新宿区で「新宿少年アート」が開催され、これらはアーティストによるゲリラ的な性質を持ち、それゆえ、何にも拘束されない自由な表現が可能となっただけでなく、アートプロジェクトがアーティストの発意によって実現可能であることを示した。94年に東京都杉並区の中学校で開催された「IZUMIWAKUプロジェクト」も、アーティストたちが主体となって開催したものだった。95年には、ワタリウム美術館の主催による「水の波紋展」(写真26)が東京・青山地区で大規模に開催されるなど、滑走し始めたアートプロジェクトは96年以降、社団法人企業メセナ協議会の支援対象となり、安定した資金的背景を得て離陸する。
 90年代前半の段階では、作品の仮設展示が中心だったが、仮設であるがゆえに、パフォーマンスなどの身体表現や、映像作品の展示も可能となっていく。99年に広島の原爆ドーム周辺で行われた、映像作品を屋外投影する「パブリック・プロジェクション広島」は、都市空間での新たな表現手法を印象づけるものとなった。
写真26●1995年に東京・青山地区でワタリウム美術館が主催した「水の波紋展」のひとこま。ヤン・フートが総合監督を務め、街路、公園、寺、商業店舗内などさまざまな場所が作品の展示場所になった。左よりホワン・ムニョス、ミロスワフ・バウカ、フェデリコ・フージ、エイヴリー・プレイスマンの各作品
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写真27[左上]●北川フラムのディレクションによる「大地の芸術祭−越後妻有トリエンナーレ2003」のひとこま。キム・ソラ/ギム・ホンソックの「ルーフトップ・ラウンジ」(十日町市) 写真28[右]●香川県直島で2001年に開催された「スタンダード展」のひとこま。作品は中村政人の「QSC+mV」で、かつて牛舎として使用されていた建物の中に展示された。"The 'Golden Arches' symbol is used with the permission of McDonald's Corporation, 2001." 写真30[左下]●大分市主催の「大分現代美術展2002アート循環系サイト」のひとこま。折元立身のパフォーマンス「ブレッドマン」の状況。顔にフランスパンを巻き付けた集団が街を練り歩く。通行人とのコミュニケーションが目的 
●2003年にオープンした山口市の山口情報芸術センターのオープニング記念として行われたアートプロジェクト、ラファエル・ロサノ=ヘメルによる「アモーダル・サスペンション・飛びかう光のメッセージ」。夜空に投射される光はインターネットと連動していて、携帯電話などを使って見知らぬ人とコミュニケーションできるようになっていた 右上●1998年から毎年継続して行われているPHスタジオによる「船をつくる話2002−続ふねをつくる」の情景。場所は、広島県甲名奴郡総領町灰塚地区のダム建設予定地。ダムが完成すると、船は水に浮かび、山に移動する計画 写真29[右下]●アサヒ・アート・フェスティバル関連の「向島自転車アート&ネット・プロジェクト」のひとこま。野上裕之の「輪タク・パフォーマンス」(2003年)。輪タクで乗客とアーティストがコミュニケーションする
とりわけ映像表現については、その後の液晶プロジェクターやデジタルビデオの技術革新などにより、急激に発展することになる。
 さらには、地域を舞台に展開するアートプロジェクトならではの、アーティストと観客の交流を作品としてとらえるコミュニケーション型や、その進化形のアーティスト自身が観客や住民を巻き込み展開するプロジェクト型と呼ばれるタイプの作品が登場し、アートプロジェクトは活性化する。
いずれも三十代前後の若いアーティストが開発した作品形態であり、「物」としての作品を介さずアーティストと観客が直接交流するところに特徴がある。99年から毎年、取手市の市街地を舞台に地元の東京芸術大学が主体となり開催されている「取手アートプロジェクト」は、まさにそうした新たな表現を試す実験場のような性質を持つ。こうして、アートプロジェクトは地域を舞台に急速に進化を遂げる。舞台に急速に進化を遂げる。
アートプロジェクトの拡大
2000年から3年ごとに新潟県十日町市周辺の広大な農村を舞台に極めて大規模に展開する「大地の芸術祭−越後妻有トリエンナーレ」(写真27)や、2001年に香川県直島で開催された「スタンダード展」は、アートプロジェクトが
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●千葉大学は、2000年より毎年アートプロジェクトを主催している。その一つ、2003年の小沢剛による「いずみプロジェクト」のひとこま。農村で暮らす人々のアイデンティティを大きな写真看板として表現。1日だけの展示となった。作品名は「ベジタブル・ウエポン(千葉市若葉区富田町)」
地域に対して果たす役割を具体的に示すものとなった(写真28)。集客して地域に直接、経済的な恩恵をもたらすだけでなく、地域の人々に日常生活のなかで忘れがちな地域の魅力の再発見と、地域レベルのアイデンティティの再認識を迫る効果が明白になる。こうして、2000年以降、アートプロジェクトは地域に対して有益な効果を持つものと認識され、全国に波及し活性化する。ポスト冷戦構造といえる9.11構造のなかで、アーティストたちは、いかにして作品に具体的な社会性を育むかを模索するようになる。それが、彼らの存在意義に直結する問題に変化したからだ。
 自治体あるいは企業が主催するもの、NPOやアーティストの主催を企業が協賛するものなど形態は多様だが、主なアートプロジェクトとして、民間による「アートリンク上野−谷中」(東京)、千葉大学主催の「アートプロジェクト検見川送信所」(千葉市)、アサヒビール株式会社協賛による
●福岡県田川市での「川俣正コールマイン田川2003・サマーセミナー」。陶芸家の渡仁によるワークショップ「新聞窯で焼物を作ろう・窯焚き」。参加者がつくった粘土の作品を新聞紙でつくった登窯のような窯で焼く 写真33[右]●2002年に水戸市で開催された「カフェ・イン・水戸」のひとこま。須藤正樹によるパフォーマンス「梅じいといく日曜日」。老人の人形と街を散歩するというもの。通行人がぞろぞろついてくる 
●熊本県阿蘇での八谷和彦による「オープンスカイ」のひとこま、2003年。アニメ『風の谷のナウシカ』に登場したメーヴェのような一人乗りのパーソナルジェットグライダーの模型をつくり、飛行実験をする ●兵庫県淡路島でのLOCOの「コップ人間」のパフォーマンス、2003年。小中学生の総合学習として行われた
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●大津市で行われた中ハシ克シゲによる「ゼロ プロジェクト 京都〜琵琶湖#601-1XX,2003」のひとこま。写真を張り合わせてつくった零戦を意味のある場所と日時に燃やすプロジェクト 写真31[右]●千葉県のニュータウンで2002年に開催された「アートユニバーシアード−まちを豊かにする菜の花里美発見展」のひとこま。武蔵野美術大学の伊藤誠ゼミによる「凹心凸心」。空き地につくられた巨大なクレーター
写真32[左]●2002年に東京都が主催した「トーキョー・アート・ジャングル」。山手線の車両一編成を使ったインスタレーション。写真は田中秀幸が担当した車両 写真34[中]●那覇市の市街地を舞台とする「ワナキオ」(2002)。市場の空きスペースでジュン・グエン・ハツシバの映像作品を上映 写真35[右]●仙台市での「観光とアート展−TANABATA.org ART project 2003」。 地下鉄車内でフライトアテンダントの格好で乗客に飲み物をサービスするタニシK。見知らぬ乗客同士のコミュニケーションを誘発する
「アサヒ・アート・フェスティバル」(全国で展開)、大分市主催の「大分現代美術展2002アート循環系サイト」、千葉県東部のニュータウンを舞台とする都市公団などによる「アートユニバーシアード−まちを豊かにする菜の花里美発見展」、東京都主催の「トーキョー・アート・ジャングル」、帯広市と地元企業の主催による「デメーテル」、水戸市の財団主催の「カフェ・イン・水戸」、NPOやアーティストによる「ワナキオ」(那覇市)、神戸市での「ネイチャーアートキャンプ」や「新開地アートプロジェクト」、アーティスト主導による「観光とアート展」(仙台市)、教育機関のイアマスによる「おおがきビエンナーレ」(大垣市)、大阪市での「ブレーカープロジェクト」などがある(写真29〜35)。  これらのアートプロジェクトは、現代社会で発生した新しいタイプの「祭」なのだと考えて、それほど間違ってはいないと思う。その特性として、既存の芸術のカテゴリーを逸脱するノンジャンル化、美術館制度など既存の制度とは無関係なオルタナティブな組織と場への依存、アートを媒介に人と人を結ぶネットワークとコミュニケーションの場を生成しつつ新たな社会的価値観と社会システムの構築を模索する姿勢、がある。
 彫刻設置事業の創始者といえる土方定一は、宇部市の設置事業開始に先立ち、「野外彫刻展が戦後の新しい現象となっている。野外で彫刻を愉しむということばかりではない。20世紀の近代彫刻がアトリエの中の実験に従っているうちに忘れていた彫刻の社会性を
回復しようとしていることが、つぎに大切なことだ。これは建築家、彫刻家、画家が協働して、われわれの生活空間を合理的に美しくしようということである」(1958年1月27日朝日新聞)と述べ、早くも今日の状況を予言している。土方は最初からすべてを見通していた。だが、さすがに土方も予想できなかったのは、アートプロジェクトの展開なのではなかろうか。今、街とアートの関係史は、土方を超えようとしている。
 彫刻設置事業がハードに地域に挑んだのに対し、アートプロジェクトは、ソフトに地域に挑み始めている。ハードからソフトへの転換は、社会全体の流れでもある。まさに今、時代の転換期に、私たちは立っている。新しいパラダイムが始まった。
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