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アートプロジェクトは、一過性の一種のイベントであり、市街地、ニュータウン、農村集落などさまざまな場所を舞台とし、終了すれば基本的にその物理的な痕跡は残らない。
こうしたアートプロジェクトは、90年代に突如、始まったわけではない。50年代半ばから70年代前半にかけて、関西を舞台に活動した具体美術協会の試みは、あまりに早いそのプロトタイプといえるものであるし、80年代前半には浜松市の砂丘を舞台に「浜松野外美術展」、80年代後半から90年代前半にかけては、岡山県牛窓町の農村で「牛窓国際芸術祭」などが開催されている。また、川俣正(かわまたただし:1953−)は、80年代初頭から独自にアートプロジェクトに着手していたのであった。
ただし、今日のアートプロジェクトに直結するのは、90年より2年ごとに福岡市で開催されている「ミュージアム・シティ・天神」が最初だと考えてよい。このプロジェクトでは、駅構内や百貨店の内部 |
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写真25●1993年に墨田区で開催された「両国−JR両国駅における試み」のひとこま。JR両国駅の使われていない廃虚のような駅舎内部が会場に。作品は加藤力 |
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など、都市のいたるところが作品の展示スペースとなった。それらの多くは彫刻設置事業の対象にはなり得ない場所であったし、作品は恒久性を意識せずに済むため、これまでになく多様な表現が可能となった。その初期に、蔡國強(ツァイ・グォチャン:1957−)、柳幸典(やなぎゆきのり:1959−)、折元立身(おりもとたつみ・1946−)、松蔭浩之(まつかげひろゆき:1965−)、小沢剛(おざわつよし:1965−)、中村政人(なかむらまさと:1963−)など今日のアートシーンを考えるうえで重要なアーティストの参加があったことも見逃せない。 このプロジェクトは東京へ波及し、93年には東京都墨田区で「両国−JR両国駅における |
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試み」が開催される(写真25)。さらに同年、東京都中央区で「ザ・ギンブラート」、94年には東京都新宿区で「新宿少年アート」が開催され、これらはアーティストによるゲリラ的な性質を持ち、それゆえ、何にも拘束されない自由な表現が可能となっただけでなく、アートプロジェクトがアーティストの発意によって実現可能であることを示した。94年に東京都杉並区の中学校で開催された「IZUMIWAKUプロジェクト」も、アーティストたちが主体となって開催したものだった。95年には、ワタリウム美術館の主催による「水の波紋展」(写真26)が東京・青山地区で大規模に開催されるなど、滑走し始めたアートプロジェクトは96年以降、社団法人企業メセナ協議会の支援対象となり、安定した資金的背景を得て離陸する。
90年代前半の段階では、作品の仮設展示が中心だったが、仮設であるがゆえに、パフォーマンスなどの身体表現や、映像作品の展示も可能となっていく。99年に広島の原爆ドーム周辺で行われた、映像作品を屋外投影する「パブリック・プロジェクション広島」は、都市空間での新たな表現手法を印象づけるものとなった。 |
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