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景気低迷のなか、地方の村おこし事業も尻すぼみとなり、農山村はますます疲弊していく状況下で、新潟県と十日町圏域6市町村が連携で推進している「越後妻有アートネックレス整備構想」と呼ばれるこの試みは、地域住民との「協働」を通して地域振興を行なう新しいモデルとして高く評価されている。9年もの準備期間を費やし事業を牽引してきたのがアートプロデューサーの北川フラム氏だ。折しもインタビューを行った2004年5月には、東京・京橋にあるINAXギャラリーで彼の仕事と思想をめぐる「北川フラム展」が開催されていた。期間中行われた講話で語られた彼自身のプロフィールを紹介しながら、アートをめぐる数々の仕事を通して紡いできた北川氏の思いを語っていただいた。
北川氏は、新潟の高田市で貸本屋を営み、良寛研究でも
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PROFILE |
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株式会社アートフロントギャラリー、現代企画室代表。1946年新潟県高田市生まれ。東京芸術大学美術学部卒業後、1971年より現代美術のプロモーション活動を開始。ガウディ展、アパルトヘイト否!国際美術展などを企画し全国を巡回。1994年ファーレ立川のアート計画で日本都市計画学会計画設計賞受賞。 |
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有名な故・北川省一の長男として生まれる。父・省一は、良寛から学んだ生活信条を「貧道」と呼び、生涯の道標とした。作家の中野重治や椎名隣三らと交友を結び、復員後、農民・労働組合運動に専念。息子にノルウェー語で「前進」を意味する語「フラム」を名付ける。
そんな父親のもとに育ったフラム青年は18歳のとき新潟から上京。戦後の日本をめぐるさまざまな思想が学生運動の盛り上がりとともに交わされるなかで、谷川雁、埴谷雄高、吉本隆明らの文化運動に強く影響されながら新しいコミュニティのあり方を模索する。特に谷川雁の「工作者宣言」に感動し、「ぬえのような人間でなければ媒介者にはなれない」という谷川の言葉を胸に、東京芸術大学入学後、美術の抱える問題を明治以後の日本の問題ととらえるようになる。
そして昨年、故郷である新潟の中山間地域を舞台に取り組んだ「大地の芸術祭」を通して北川氏は「かつて媒介者としての覚悟を語った谷川雁の限界を悟り、妻有のプロジェクトがそれを超えると確信している」と語った。何かに突き動かされているような彼の活動力の根源は、常に時代の体現者だった父の生き様にあるのかもしれない。 |
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都市と農村の問題が表面化した現代 |
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Q.新潟の山間地域でこのようなアートイベントを展開する意図をお聞かせください。 北川――越後妻有地域は、夏は蒸し暑く冬は豪雪という米作りに適した気候で、1500年もの永きにわたり農業を生業としてきました。近代化の流れのなかで都市に労働力や情報が集積していく反面、中山間地域の人口は減り、文化もコミュニティも崩壊の危機にさらされています。具体的な数字でいえば、ある町では最大14000人だった人口が現在は4000人。20年後には1800人くらいになるといわれています。そうなれば、町そのものが守れなくなり、住んでいる人たちも社会から取り残されている感じになってしまう。厳しい自然を相手に生きてきた知恵とプライドがまったく意味のないものになってしまいます。いにしえのアジアに開かれていた時代、北前船が物流の大動脈だった時代、日本海側は「表」だったわけですから。そこを元気にするお手伝いをしたかった。
もう一つ、都市にもさまざまな問題が表面化しました。特に1994年、当時「神戸株式会社」と呼ばれ都市運営では全国の見本となっていた神戸市が阪神淡路 |
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