情報誌「ネルシス」 vol.6 2005

P-01 プローラの海岸にある巨大リゾート跡
P-07 日本における「みなとまちづくり」の取り組み

P02-06
目次
ウォーターフロント開発の経緯とこれからのまちづくり
話し手・・・横内憲久氏(日本大学理工学部海洋建築工学科教授、
ウォーターフロント計画)
古くから「みなと」は、
暮らしを支える物と人との交流の基地として栄え、
異文化とのふれあいの場でした。
しかし、産業活動が盛んになるにつれ、
一般の人々が「みなと」から遠ざけられてしまったのです。
そこで、文化的情緒あふれる「みなと」と人々のつながりを
現代の暮らしに甦らせる活動が、再び盛んになってきました。
特に近年は、市民が主体となった、「みなと」を活用した
個性ある地域づくりが全国で展開しています。
今回の特集では、こうしたまちづくりの実例を
取り上げながら、ウォーターフロントの
新しい可能性を探ってみます。
ウォーターフロント研究の
きっかけ

1970年代半ば、水辺の環境を生かした新たな街をつくっていくというのは世界中でたくさんありました。当時私は27歳で、隅田川の調査をやっており、そのころの日本の水辺はほとんどが倉庫や工場などで占められていました。しかしおもしろい空間もたくさんあって、こんなところに住めたらいいんじゃないかとも思ったのです。そこで、海外ではどうなっているのかと調べ始めたのが、ウォーターフロント研究のきっかけでした。
 「ウォーターフロント」という単語を辞書で調べると一般には「海岸通り」「波止場」ですが、
ネーミングとして考えた場合「臨海部」や「水際地域」が浮かびます。しかしどれもしっくりこなくて、結局、カタカナで「ウォーターフロント」として表現することにしました。
 海外のウォーターフロントを調べると、何百という事例が出てきました。いずれ日本も外国のように水辺に住むようになるのではないかと思い、それらの事例を日本に紹介したのが1975年ごろです。その後、アメリカに10年遅れて1985年ごろから日本のウォーターフロント開発が始まりました。水際という環境を生かし、集客機能を持つ施設としては「釧路フッシャーマンズワーフ」が日本で最初に誕生したウォーターフロントといえるでしょう。
アメリカの
ウォーターフロント開発

こうした水際の開発がなぜ生まれたかには理由がありました。古くは1920〜30年代、アル・カポネの時代です。不安定な海上輸送に変わり、鉄道や自動車が新たな輸送手段として登場してきました。そして1960〜 70年にかけて、荷物のコンテナ化による物流革命が起き、荷をコンテナに入れることで、まったく違う荷を重ねて大量に輸送できるようになったのです。それに合わせて船も大型化し、この大型化に対応できない小さな港はだんだん荒廃していきました。
 アメリカではボストンや
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ボルチモアなどがその代表例です。ボルチモアの内港は荒廃し、倉庫や工場も老朽化していき、ついにはスラム的な様相を呈してきました。そうして放っておかれた港湾地域というのは、おおよそ都市の中心部に位置しています。都心部を活用しないのはもったいないということで、1970年代に入ってようやく再開発が行われ、150ものレストランやショッピングストアを擁するアミューズメント地域に変貌しました。そのことで年間1000万人が訪れる場所になったのです。たくさんの人に訪れてもらうことによって、治安の悪さも解消されていきました。
 このボルチモアのウォーターフロント開発を行ったのが、ジェームス・ラウスというボルチモア出身のディベロッパーです。彼はもともと弁護士で、「弁護士が生涯救える人の数は知れているが、まちづくりは何十万人の人に喜んでもらえる。だから私はこれをやるのです」という伝説を自分でつくったということで有名です。彼の会社であるラウス社がボルチモアやボストン、ニューヨークを手がけました。
ネーミングとして考えた場合「臨海部」や「水際地域」が浮かびます。しかしどれもしっくりこなくて、結局、カタカナで「ウォーターフロント」として表現することにしました。
 海外のウォーターフロントを調べると、何百という事例が出てきました。いずれ日本も外国のように水辺に住むようになるのではないかと思い、それらの事例を日本に紹介したのが1975年ごろです。その後、アメリカに10年遅れて1985年ごろから日本のウォーターフロント開発が始まりました。水際という環境を生かし、集客機能を持つ施設としては「釧路フッシャーマンズワーフ」が日本で最初に誕生したウォーターフロントといえるでしょう。
日本の
ウォーターフロント開発

ウォーターフロント開発が、アメリカでは都市問題の解決方策から出発しているのに対して、日本の場合は土地の有効活用が目的です。現在、ウォーターフロント開発が行われている多くは
大都市においてです。東京のお台場、横浜のMM21、千葉の幕張、名古屋のガーデンふ頭、大阪の天保山、北九州の門司港、福岡の百地などです。これらはショッピング系の商業施設が多く、スタイルとしてはアメリカと同じです。海という第一級の自然があり、都市の人々が欲するアメニティ空間を提供できるのは臨海部しか残されていなかった、ということもありました。それが大いに当たったわけです。バブルがはじけて全体が低迷化したものの、ウォーターフロント人気は根強く、ブームが去ったように見えますが、まだいろいろなところで取り組まれていて、しっかり市民権を得たと考えます。
 しかしウォーターフロント居住を考えた場合、マイナス面もしっかり知っておかなければいけません。マンションディベロッパーの方からよく相談を受けるのですが、売り出すときにちゃんとマイナス面も伝えないといけない、とアドバイスしています。車や金属は潮風で錆びやすく、空気が湿っていて洗濯物が乾きにくい、
窓ガラスは潮で真っ白になる、台風のときは雨が下から吹き上げてくる、などです。しかし、こうしたマイナス面を超える魅力がウォーターフロントにはあるので、それを生かした居住開発が行われて初めて、アメリカのようにウォーターフロントでの居住がステイタスになるのではないでしょうか。
東京で見直される港や運河

なぜお台場に人が集まるのか。商業施設で売っているものは、お台場でなくても買えるものばかりです。しかしそこには、夜景がきれい、景観がいい、海の香りがするなどの新しい環境がありました。都市生活のなかで、実感としての「海」を知り始めたのは1980年代です。隅田川の両岸には今でこそ聖路加病院やIBMがありますが、以前は倉庫だった。そういった場所の高度利用が見直されています。これからは、大きな規模の再開発地域というのはウォーターフロントくらいしかないでしょう。
 今後、本格的に出てくるのは
運河の利用です。江戸時代の東京にはベニスのようにたくさんの運河がありました。相当埋め立てられましたが、今でも東京港には運河が40本くらい残っています。有名なのは東京モノレールのわきを流れる京浜運河です。東京都は「運河ルネサンス」という事業をやっており、観光都市の顔をつくろうとしています。運河という装置を初めからつくろうとしたら大変ですが、既存の運河を利用して、東京の顔にしていこうというのです。
 そしていま最もトレンディな運河は、寺田倉庫が手がけた天王洲アイルの「TYハーバー」で、世界でも一級の運河空間だと思います。自社倉庫を改造したレストランには地ビールなどもあり、年間15万人が訪れています。さらに、海辺のプロムナードの整備や、はしけを使ったレストランも計画されています。私の夢は「水運」の復活です。船でアクセスするというのはおもしろいし、防災時にも役立ちます。このTYハーバーは目黒川とつながっているので、船を活用してもいいですね。
 日本人の約1500万人が海外旅行に出る反面、海外から日本
への観光客はわずか400万〜500万人程度。この格差は観光格差です。この溝を埋めるには、都市に魅力がなければ難しい。
北海道が外国人に人気なのは雪の質がよくラベンダー畑の景観が美しいからです。現在東京ではディズニーランドへ行き、秋葉原で買い物をして帰るだけです。これからが本当の観光都市を目指した「まちづくり」が始まるのだと思います。
地方で港を生かした
まちづくりの成功要件

地方の港湾に行くとほとんど船が入っておらず、税金を使って巨大な釣り堀をつくったのかと批判されています。しかし、世界に冠たる日本の土木技術でつくられた港は、強固な防波堤で波の立たない水域が確保されているわけです。港は50年くらいごとに補強・改修しますから、日本の港はほぼ完璧な状態です。そういったすばらしいインフラをなんとか生かして、地域の活性化に役立ててほしいですね。
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ウォーターフロントが成功する10の要件
1.囲繞(いぎょう)空間―――L字形やコの字形などの土地・建物によって水域が囲まれた空間で、そう遠くない距離に対岸が見える状態。水域は一辺が500mのスクエアが適当。歩いていくと若い人では5〜6分。包み込まれた印象は人々に安堵感を与える。
2.静穏な水域―――水辺の安全性が確保されている。
3.豊富な水量―――豊富な水量のある水辺は、水の多様な表情が満喫でき、親水性が高まる。
4.都心中心部からの接近性―――都心中心部に近いほど人々を多く集めるのに有利で、徒歩圏であるといわれる2km程度が望ましい。
5.ランドマークの存在―――ランドマークとしては建物やモニュメントが一般的であるが、その地域固有の歴史・文化を象徴する事物、雰囲気、樹木などまで含まれ、その地域らしさを醸し出すもの。
6.背後人口の多さ―――ウォーターフロント
開発では、敷地前面が水域であるため商圏は内陸の開発の半分であるといわれ、不利な立地条件を克服するには「背後人口の多さ」が必要。
7.活発な複合的利用―――工業や港湾、住居機能などの特定の機能に純化した土地利用では活気あるウォーターフロントにはなりにくく、集客能力は低下する。
8.地域に対する高い認識―――端的に言って、知名度の高い場所ほど 人が集まりやすい。
9.日常的利用の頻度の高さ―――定住者にとって、日常的に利用されるウォーターフロントほど人が寄り付きやすい。
10.利用の履歴―――これまでウォーターフロントや水域を利用した経験のない地域で開発を行っても、一時の物珍しさで人が集まる可能 性はあるが、地域住民の原風景にウォーターフロントがない場合、定着するにはかなりの時間が必要となる。

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歴史的な遺産も、そういうところにはあります。鹿児島本港の護岸が整備されただけでも人が来るようになったし、指宿の海岸通りを夜間照明し護岸を整備したことで、人が外に出て散歩するようになりました。コンセプトひとつで集客できる、港はその材料として十分な可能性を秘めているのではないでしょうか。
 P.5に、港を生かしたまちづくりの成功への要件を掲げました。ボルチモアはこれらの要件を満たしています。背後人口について、ジェームス・ラウスは100万人いてほしいと言っていますが、それに及ばない日本の地方都市でも頑張っています。函館が30万人、小樽は20万人、釧路は釧路圏で30万人、この規模でもうまくいっています。いちばん成功したといわれているのが石川県の「七尾フィッシャーマンズワーフ」で、七尾市の人口はわずか6万人強ですが、
車で20〜30分のところに有名な和倉温泉があり、そことタイアップして成功しています。地方都市で成功させるにはこうしたアイデアが必要です。
 また、日本で成功要件を満たしているのが、横浜の山下公園を中心とした地域でしょう。大桟橋と山下ふ頭に挟まれる格好にある山下公園は、まさにボルチモアと同じスケールです。また、港湾にこれほどの緑があるところは世界でも珍しい。利用頻度も知名度も高く、複合的利用がされています。
海を知らない日本人

日本には4000もの港があります。国土交通省が管轄する港湾がおよそ1100カ所、農林水産省の管轄する漁港が2900カ所です。日本の海岸線の長さは35000kmですから、日本には海岸線8.7kmに1つ港がある計算になる。こういう国はなかなかありません。
 ところが海に取り囲まれているのに、これほど海について知らない国民はいない、と海洋小説作家・白石一郎は言っています。ちょっと引用しますと、「江戸時代以前とそれ以後の日本人は、海のかなたへの好奇心や冒険心が違う。江戸以前ははるかに生き生きとしていた。海外に渡ったものは戻れば死罪という鎖国時代が
長く続き、海を嫌うことが伝統になり、国民性にまで及んだのではないか。日本中心の内向きの視点が身につき、国際感覚を摩滅させた。日本が外を向いたときは戦争で、まったく話にならない。それが今ようやく変わり始めたところかな。日本が海を介して外国とつながっていることを実感としてもっと意識しなければ」と中日新聞のインタビューで語っています。
 欧米の産業革命を目の当たりにした明治政府は、国策として産業振興のために港湾や河川を特化させて、一般人が立ち入れない場所とした。そのことが今日まで影響しているのではないでしょうか。私は日本の教育現場で、もっと「海」について教えていく必要があると思っています。
地元と連携して海を守り、
海を知る

35000kmもある日本の海岸線をどうやって管理していくのか、おおよそ自治体だけではカバーできません。海は広大ですので環境面での影響が大きく、そのためNPOや地元住民の方による協力が必要になります。
 重要なのは、役所と住民の役割分担を明確にすることです。私は海や海岸の民間利用をある程度認めることによって、今以上の環境管理が実現すると
思っています。例えばホテルのプライベートビーチのように、民間利用を促進させることで環境を守る方法などです。これまでの海の利用は漁業や海運がほとんどだったわけですが、今後の多目的で高密な海域利用を考えた場合、新たな管理方法が必要になってくるでしょう。
 また、まちづくりに関連していえば、住民による歴史伝承や街案内などがあります。横浜に「横浜シティガイド協会」という、横浜の街を歩いて案内するボランティア組織がありますが、彼らは横浜に関するさまざまなマップをつくり、地元の人が横浜の歴史や魅力を解説してくれる団体です。長崎市が昨年から準備している「さるく博’06」も、地元の人たちがボランティアガイドとして長崎の歴史や文化を伝えるイベントで、より深い長崎を知ってもらえる内容になっています。
 これからのウォーターフロントの課題は、周辺地域と連携し、お互いに足りないものを補い合い質を高めていくことです。そして、海に囲まれている日本だからこそ、人々に海や港を理解してもらわなくてはなりません。たくさんの人が港を訪れ、水に親しみ、もっと海を知り、自然への畏敬を抱くことで、美しい環境を次世代の子どもたちに残すことができると思っています。
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