情報誌「ネルシス」 vol.8 2007

P-01 都市の隙間
P-08 大阪・道頓堀に生まれた川辺の遊歩道―とんぼりリバーウォーク

P02-07
目次
特集 都市の空間を活かす 取材・文…編集部
バブル崩壊後、地価の下落や超高層マンションの定着などによって
都心部の不動産取得が容易になったこともあり、
都心の利点が見直され、都心回帰が進行している。
しかし、高密化する都市環境は、必ずしも快適とはいえない。
働く人、住まう人、訪れる人、それぞれの活動が混在するまちでは、
目指すべきまちの全体像が見えにくくなっているのだ。
これからの都市環境を快適にするには、
人々が憩える場所や、人がにぎわう魅力ある場所が必要だ。
高層ビルの足元の公開空地や、狭い路地空間、屋上や水辺、
ときには水上までもが、快適でにぎわいのある空間へと変わる。
大都市圏への人口集中が進むなか、
さまざまな空間の使い方を試みる、新しい動きを取材した。

Top > P02 > P04 > P06 > P07
P04
都心のオフィス街に骨董市が出現
東京国際フォーラム地上広場
樹木が風にそよぐすがすがしい空間に、にわかに市が立ち、まるでお寺の境内のようなにぎわいだ。ここは東京屈指のオフィス街、JR有楽町駅前の東京国際フォーラム地上広場。平日の朝夕は丸の内界隈に通勤する人々の通過空間だが、お昼どきにはランチマーケットに様変わりし、土日でも実にさまざまなイベントが行われている。日本を代表するオフィス街が、ここ数年で大きく変貌しているのだ。

東京の新名所となった
東京国際フォーラムの
骨董市
東京国際フォーラムは、東京都庁舎が新宿に移転した跡地に建てられたコンベンション&アートセンターで、広場を含む建物の設計はコンペで当選したアメリカの建築家ラファエル・ヴィニオリ氏が担当。1997年1月10日に開館し、2007年の今年で10周年を迎えた。当初、(財)東京国際交流財団が管理運営を行っていたが、2003年、民間に事業を譲渡。元丸紅社長・鳥海 氏を社長に迎え、(株)東京国際フォーラムとして新たに運営を開始した。2001年から一般利用を始めていた地上広場部分も、民営化後はさらなる有効活用が求められた。
 地上広場の総面積は約8700m2。そこにケヤキ44本、カツラ15本、2人掛けベンチが43カ所に設置されていて、都会のなかにあって緑豊かなオアシス的空間になっている。手始めに、2003年10月に「大江戸骨董市」を誘致した。最初から4万人近い人が訪れ、翌日の東京新聞の1面を飾ったという。
 「私たちの仕込みのがんばりもありましたが、

2003年から始まった「大江戸骨董市」は、規模が大きいことで有名。最近は外国人の姿も多い。毎月第1・第3日曜に開催(問い合わせは大江戸骨董市実行委員会事務局、電話03-5444-2157)

場所のわかりやすさと交通の便利さのおかげで、初回から大盛況でした」と語るのは、自らも骨董好きという大江戸骨董市事務局の浅野加奈子氏。イベント会社に所属する、骨董市の仕掛け人のひとりだ。当初は月1回、現在では第1・第3日曜の月2回開催で、日本で最も大きい露天の骨董市といわれ、骨董好きな外国人観光客の人気スポットになっている。出店数の多い第3日曜は、日本全国から250店舗が出店し、
1日の来訪者は平均4万〜5万人を数える。
 「いまではすっかり定着し、東京都の後援もいただいたので、事務局としても出店業者を厳しく選定し、質を保つように努力しています」と浅野さん。本物でないとすぐに飽きられてしまう怖さを知っているプロの目があったからこそ、続いてきた骨董市。いまでは東京の観光名所のひとつになりつつある。


Top > P02 > P04 > P06 > P07
P06

20台ものケータリングカーが出店し、世界の料理が味わえると人気のビアガーデン「ネオ屋台村スーパーナイト」は、4月から11月までの期間、月1回で開催
緑に囲まれたビアガーデン
地上広場の一般利用が始まった当初は、企業の商品宣伝キャンペーンなどに使うことが多かったが、民営化を機に、さまざまな試みが実施された。お昼の「ネオ屋台村」もそのひとつ。
 「地上広場のにぎわいづくりに、お昼のランチ販売を検討していました。そこで、以前あるイベントでケータリングカーを出していただいた会社に、こちらから話をもちかけたのです。以来『ネオ屋台村』として平日の昼どきには毎日ここにケータリングカーが出現し、オフィス勤めの人々へバラエティに富んだランチを提供していただいています。

それを続けていくなかで、夜バージョンのビアガーデン『ネオ屋台村スーパーナイト』に発展していきました」と語ってくれたのは、東京国際フォーラムの広報部ジェネラルマネージャー・佐藤悦子氏と、チーフ・マネージャーである澁谷実氏のおふたり。
 2004年7月に「ネオ屋台村スーパーナイト」第1回が開催された。550〜700席が用意され、2日間で3000人が来場。同年11月のボジョレー・ヌーボー解禁日に再び開催したところ、その日は雨天だったにもかかわらず多くの人が訪れた。どちらも好評を博したことから、翌年度は、4月から11月まで月1回のペースで開催することになる。
 「女性のお客さんが多く、彼女たちの感想は『通常、ビアガーデンに女性だけでは行きにくいが、ここなら気軽に来られる』
『森の中でお酒を飲めるのは気持ちがいい』と、いずれも歓迎モードでした。土地柄、救急車のお世話になったこともなく、喧嘩沙汰も一度もありません」と一昨年、昨年とスーパーナイトを担当した澁谷氏は語る。丸の内らしいおしゃれなビアガーデン、願わくば毎晩オープンしてほしいものだが、運営は経費的に持ち出しが多いとのこと。地域のにぎわいづくりにと、がんばっている。
地元と連携しながら
地域貢献に取り組む
こうしたがんばりは、地域の文化施設の中核を担っていきたいという強い使命感からだ。
 「社長は常々、『建物に1650億円、土地代に当時で3000億円かかっている。施設自体が都民の財産なので、
ここの価値を上げることが、すなわち都民の財産の値打ちを上げること。そのために一生懸命取り組むように』と語っています。特に地上広場は公共性が強く、顔となる場所でもあるので、私たちの姿勢が感じられる内容にしていきたいと思っています」と澁谷氏。実際、地域・社会貢献を目的として2005年からスタートした、ゴールデンウイーク期間に開催する「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン『熱狂の日』音楽祭」では、第3回の今年、丸の内周辺エリアも含め8日間で106万人が来場し、総合経済波及効果は136億円と試算された。まちづくりの中核施設として、今後も地域とのさらなる連携を図っていく方針だ。
Top > P02 > P04 > P06 > P07
P07
暗くなるとケヤキがライトアップされ、ライブ演奏がスタート。お祭りムード一色に
 丸の内エリアがここ数年で大きく変貌している。大手町・丸の内・有楽町地区の再開発が目に見える形で進み、多くの商業施設が出店。それに伴って観光客・買い物客も増加しているのだ。そんななか、2002年に、ソフト面でのまちづくりを強化しようと、大手町・丸の内・有楽町地区再開発計画推進協議会を母体に、NPO法人・大丸有エリアマネジマント協会が設立された。東京国際フォーラムも活動の舞台のひとつとなっている。
 協会事務局長の金城敦彦氏は活動の趣旨をこう語る。
 「大手町・丸の内・有楽町地区を中心とするエリアで、

街をよりいっそう活性化させようと、地域の法人・企業と連携をとりながら、参加・交流型のイベントを開催しています。ここで働いている人やOB、学生など多くの人に、この地域にホームタウンのような愛着をもってもらいたいと思っているのです。以前は、仕事が終わったらさっさとこの街から出よう、という人がほとんどでしたが、いまは友達をこの街に呼んで、丸の内でアフター5を過ごすようになってきた。この変化のほうが、意味があるのではないかと思っています。東京国際フォーラムで開催されたビアガーデンも仕事帰りの人でにぎわいました。この街に長くとどまってくれる、そういう風景がうれしいですね」
 協会主催で2005年からスタートした「丸の内ウォークガイド」は、丸の内地区で働いていたOBたちがガイドとなって、丸の内の魅力を伝えるというもの。歴史、浪漫、アートの3コースがあり、歴史的建造物や公園をおよそ2時間かけて歩く。働く人も、訪れる人も、この街のファンになってくれることを期待している。
 かつては、平日19時を過ぎると人通りが減り、土日ともなるとゴーストタウンのように静まり返っていた街に、親しみのもてる新たな表情が加わり、丸の内は街全体が徐々にコンバージョンされるように、多様性のある街へと変化しているのだ。

Top > P02 > P04 > P06 > P07